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皆様より寄せらせた 栄光の体験記。役にたつお話・・・
 2004年版(6)

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51 富士登山について 御殿場口

はじめまして、富士登山のバイブル的存在になって参考になさっている方が多いですね。かくいう私も有り難く参考に致しました。今年は台風の当たり年、高校と中学の息子を連れて7月と8月に2回登山を計画しましたが両方とも台風の影響で悪天候、初心者が初心者を引率して登るには無理があると断念し引き上げ今年は登山出来ないなぁと思っていましたが・・・・私(47才ゴルフが趣味)一人で8月16日お盆の最終日に登頂してきました♪15日に御殿場でゴルフの大会に参加していました。当日は雨、午後から晴れ間が見えてゴルフ場の浴室から富士山の姿がはっきり見えたとき「登りたい!」と思い立ち、帰省ラッシュで東名は渋滞してるから夜間登山して16日に帰る事にしたら楽だなって自己弁護しつつ早速準備に取りかかりました。思いつきの行動で靴を持って来てないので御殿場のダイエーへ行き運動靴(ケチって1,000)購入。時間をつぶすため須走口の近くにある温泉天恵(これも良く紹介されますね^^)へ10時まで営業しているので充分睡眠が取れました。さて何処から登るかと検討するも夏休みの時期は河口湖、富士宮口は道路規制され須走口はキャパが少ないのでおのずと御殿場口に向かう。途中でコンビニへ奥深い所にも結構あり商売になるのって小さな疑問を感じながらも食料調達し駐車場へPM10:30到着しかし車両が1,2,3・・・20台も止まっていないホントに夏休み?やはり人気薄の御殿場口侮れないぞ!

早速新調した靴を履き替え^^;カッパ(ゴルフ用)を着込み意気込んで出〜発!・・・ってまたも???登山道って何処?真っ暗で何も見えない車の懐中電灯をもって来たが遠くまで照らせないし、彼方に先行する登山者の灯りが見えるそれを目指して改めて出発進〜行!空は満点の星、流れ星は降り注ぎ、夢見る中年は願い事を唱えながら歩きました。でも直ぐに・・・・・・途中・・・・只々・・・・・相変わらず道が判らず風強く先行していた灯りが後方にある道を間違えてる・・・?真っ暗で不安の中降りようにも道が判らず上を目指して歩いてる明るくなったら下山しようと歩き続けた。立ち止まってると寒くて我慢出来ないから・・・そんな感じで歩いてた。思い出しても時間の観念が無いのですがようやく空がしら見かけてきたのは8合目の小屋あたりそうなると元気も出て来るから不思議、六根清浄六根清浄てな具合に一気に登頂、所用時間およそ7時間半しかし寒さの為おはち周りは断念し郵便局で記念はがきを出直ぐに下山、途中登ってくる人と立ち話、その人曰く12時間掛かったと言っていました、ひょっとして追い越した人?どうやら下山道(大砂走り)を登って来たみたいでした。確かに下ってみると此処を登るのは時間が掛かりそうだな思いました。今回の登山の教訓は御殿場口を夜間登るのは止めておいた方が良いと思います。運動靴で登れるけれど・・・^^

■52 初登頂!

8/24〜25,須走口より富士山頂を目指し登っていきました。

1日目,天気が心配だったのですが午後きれいに晴れてくれ,素人の女の子3人でせっせと登っていきました。
私が一番体力が無く,2人の足を引っ張ってばかりでしたが,なんとか宿泊予定だった7合目の大陽館に付き,ほっと一息。2時30分位に5合目を出て6時ごろ7合目に到着したので,まぁ順当に行ったといえばそうなのでしょうか。
途中で出会った人と少し話をしながらの登山はとても疲れましたが楽しいものでした。
山小屋で夜,急に頭痛がし,これは高山病??!と思っていましたが,夜,端っこに寝ていたので隣に布団を引っ張られ,半分しか掛けられない状況で寝ていたため,冷えて頭痛がしたという事がわかりました。バファリン飲んで治りました。
2日目は4時頃出発。まだ日は昇っておらず,星も少し見えるような空の中,本7合目で御来光を見ました。きれいだった!!雲に映ったあの日の光は忘れられません。

 

その後,再び足を引っ張りつつなんとか9時頃に登頂!!
あまりの寒さに下山したかったのですが,他の2人に押し切られお鉢めぐりも。でも歩いているうちに暖かくなり,日本最高峰にも行けて良かったです。
そして11時頃下山。下りで急に元気になった私は順調に下山したのですが,他の2人は逆に下りの方が大変なようでした。
5合目に着いたのがちょうど3時頃。バスが行ってしまったばかりだったので2時間のんびりと遅いお昼を食べたりし,帰宅しました。

登山はペースが重要ですね。今回私が一番遅く,他の2人がどんどん先に行ってしまうのを下から眺めるしかなかったのですが,それが一番良くないのだなと思いました。下りでは逆に私がどんどん行ってしまったので,2人はたいへんそうでした。一番遅い人のペースで歩くというのはやはり大切な基本ですね。

こちらのHPでも話題になっている砂払5合目からのあの道ですが,確かに危険ですね。私は途中で足の小指の爪が割れたらしく(元もと2枚爪なのですぐ痛くなるのですが)あの道は大変でした。でも森林の中を歩くのは気持ちが良かったです。

砂走りを下っている時,霧が深くて前があまり見えず,このままどこかへいざなわれそうだねと言っていましたが,迷うことなく着けて本当に良かったです。迷子になるのが一番心配だったのですが,その心配は必要ありませんでした。
下山しながら何度か飲み物を買ったのですが,例えば街のホテルではたったコップ1杯のジュースを飲むのに600円ほどかかるわけで,500mlのペットボトルが500円程度というのは安いと感じます。確かに街で買うよりは断然高いけれど,購入できるありがたさの方が勝っていました。

私の感想はこんなところでしょうか。もうちょっと体力を付け,また登ってみたいです!!

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■53 限界を超えた徹夜登山 9月5日〜6日

 名古屋から東名高速を使い約五時間、名古屋は大雨で心配でしたが静岡は曇りで一安心。須走口五合目に着くと車は数台あるものの人はおらずみんなで「やっぱりFUJIYAMA(富士急ハイランドのジェットコースター)に登ろうか」などと話していると売店(菊屋)の明かりがついて、中で一時間程休憩させてもらい、「まあ登れるんじゃないの?」と無責任に言うおばあちゃんに見送られ22時半頃に出発しました。金剛杖を買おうとすると、おばあちゃんは「学生さんはお金がないから」などといい快く杖を貸して下さいました。本当にありがとう!
 僕らはかなりゆっくり登ったのでガイドに載ってる時間よりもかなり時間をくいました。眠気と戦いながらの登山でしたが、先に登って上の方にいる人と「聞こえるかー」などと叫びあいつつ楽しく登りました。休憩をこまめにいれたつもりでしたが、一人が高山病にかかりつらそうだったので4時半頃に8合目江戸屋でこれ以上登るのは断念。そこでご来光(雲に隠れてたけど)をみました。登山中少し雨が降りましたがすぐやみました。曇っていたので星が見れなかったのが残念。あと風がすごく寒かった。
 ご来光を見た後、高山病の二人は下山し、残った二人で頂上をめざしました。御来光館のあたりから山小屋に泊まっていた人が続々と登り始め、シーズン外にしては結構人がいました。月曜日は天気もよく快晴だったのですが、御来光館からがつらいのなんのって、傾斜もすごいし岩だらけだし、5mくらい歩いては休憩してました。なんとか頂上に着いたんですが、余りに眠かったので1時間程ベンチで寝ました。そのあと剣ヶ峰にもいきましたが疲労で十分に楽しめず、早々と下山しました。
 ところがこの下山がまたつらい。砂走りは楽しいと書いてあったので期待していたのに、スニーカーだったので靴に砂は入るし足は痛いしで登山靴とスパッツの必要性を感じました。とにかくおりてもおりても道が続いていて、もうすぐ五合目だと思っていたのに太陽館(7合目)に着いたときは泣きそうになりました。砂走りが終わったあとの森の道も長くて泣きそうになりましたが、五合目に着いたときは本当に嬉しかった。
 台風がきているというのに奇跡的に天候に恵まれたこの登山でしたが、せっかくの綺麗な景色も十分に楽しめなかったので、やっぱり徹夜登山はするもんじゃないなと思いました。今までの人生の中でベスト3に入る素晴らしい景色をみつつも、ワースト3に入るつらい経験もした初めての登山でした。ちなみに須走口でこの日に開いていた山小屋は、菊屋・東富士山荘(5合目)、太陽館(7合目)、胸突江戸屋(本8合目)、本八合目トモエ館、御来光館(8合5勺)です。

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■54 オジサン軍団登頂成功

とうとう日本一高い山に登りました。
関西からの登山バスツアーも今シーズン最後の 9月11.12日に参加し、初めて富士山に登ることが
できました。

私たちは、ビール腹を気にして、これではいけないと休みに大文字山や愛宕山に登っては、帰りにお疲れ
さんということで、又ビールを飲むといった健康にいいのか悪いのか解らない日々を送っている京都の
オジサングループです。
そんなオジサン達5人が、まだ1000メートル位の山しか経験がないのにもかかわらず、今度は富士山
に登ろうという無謀かつ無責任な誰かの発案で、初めはウソだろう、冗談だろうと思っていたのが、8月末
に申し込みをしてから俄然本気モードになってしまいました。
そして、それぞれヘッドランプや雨具、酸素ボンベまで購入するやら、体調を整えるなど、とうとうその
日を迎えることになりました。

登山好適期間も過ぎ、高所でもあり、かなりの寒さと悪天候を予想し、何といっても3776メートル
という未経験の高度による酸素不足、高山病を予測していましたが、到着した夕方、5合目からはダイナ
ミックな富士の頂がはっきりと見えるほど好天に恵まれ、服装もTシャツ1枚で十分なほどの絶好のコンデ
ィションとなりました。

同じバス(4号車)に乗り合わせた48名は、このツアー初対面の人ばかり、しかも小学校高学年の女の子
から中年まで年齢層も幅広く、私たちと同じように登山経験も少なさそうな集団でしたが、現地で待ってい
てくれた登山ガイドさんは「登山のペースは小学生に合わせます」と初めに宣言するなど、集団を頂上まで
上手に引っ張っていくことを心得た若いガイドさん(鈴木さんだったと思いますが)でした。

登山の諸注意を時間をかけて時に厳しく皆に伝えた後、さらに集団をまとめようと、大きな声で気合を入れ
ました。”サン・サン・ヨン・ダー”と猪木よろしく気合が入ったところでいよいよスタート。

神奈川方面の雲海に影富士を見ながらまずは6合目の安全センターまでは何なく到着、そして薄暮の下界を
見ながら少しずつ高度をかせぎ7合目へ、そしていよいよヘッドランプを点けての夜間登山となりました。

紅の雲海に一同驚いた後に、今度は夜空に北斗七星が、そして北極星が見え、いつしか日本一高い所で見
る空は満天の星、そして7合目に着くころは、そこはもう日本一のプラネタリウム、ガイドさんの「あの
白い帯が天の川 ミルキーウエイですよ」 と教えられ若い女性はもちろんのこと、我がオジサン軍団までも子供のように
夜空を見つめ、大興奮となりました。
めったに見れない、すばらしい天空ショーのおかげで8合目の仮眠所まで全員何事もなく無事到着。
ほんの数時間の仮眠の後、いよいよ今度は3000メートルを越える高所登山、あせらずゆっくりとしたペースで8合目、
本8合目とクリア、オジサンたちも酸素ボンベを充分に吸いながら小屋から小屋へ、岩だらけの道をフラフラしながらがんばり
ました。
本8合目の鳥居を過ぎたころから少しずつチームがばらけ、もうご来光はここでいいやとそれぞれが腰を下ろし、東の空を眺め
ていると、あのやさしかったガイドくんが、下から「何休んでるんですか もう少しですよ!我がグループは全員登頂させますヨ」
と鬼のような檄が飛んできました。
その声に元気付けられ(?)、最後の登りに全エネルギーを集中、ご来光とともに私達も全員が頂上の鳥居をくぐることが
できました。
ツアーのスケジュールもあり、上でお鉢周りができなかったのが残念でしたが、すばらしいガイドさんに
先導していただいたことと、最高のご来光が拝めたベストコンディションに恵まれての大変素晴らしい
富士登山でした。

今回意外だったのが、こんなにもたくさんの若い人たちが富士登山にチャレンジしていたことです。
それも山の経験が少なさそうな(学校のワンゲルとかでなく)方たちが多かったことで、彼女たちは皆
元気に歌を歌う等、余裕を持った登山を楽しんでいましたし、ジャージ姿の大学生ぐらいの二人の男の子
は何とスニーカーで3776メートルを登頂していました。
下で気がついた時、大丈夫かなと心配しましたが、9合目の岩場でもヒョイヒョイと岩の上を飛んで、
全く身軽な動きをしており、彼らの若さにも驚かされました。 皆さんの元気すばらしかったです。
小学生の女の子も本当にご苦労様でした。

ただ残念なことがひとつ、最後に書かせていただきます。今回ちょっとは腕に自信のある写真をとデジ
カメと一眼レフを持って登り、薄暮の雲海からご来光までを撮りまくっていたんですが、頂上石碑あたり
でフィルムを入れ替えたときにどうやら1本を置き忘れたようで、帰って全ての荷物、着ていた服の
ポケットまで探しましたが見つかりません。
高山病で注意力が落ちていたのか全く気がつかず、大変残念な結末になってしまいました。
これはひょっとしたら、もう一度登って来いという富士山のお告げかも・・と密かに思っているところ
です。
でも、もし頂上でフィルムを見つけた方 (フイルムもFUJIでした) いらっしゃいましたら ぜひご連絡を・・・   
                                                masato-w@maia.eonet.ne.jp
 京都 : 渡辺 正人

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■55 6才、8才の子供たちと「なんとか」登頂! (Oさん一家)

 8月24日(火)〜25日(水)に須走口より山小屋泊、6才(小1)と8才(小2)の娘たちと父親の3人で登りました。頂上まで14時間半(山小屋滞在除く)という超スローペースで、登山者ほぼ全員に追い抜かれました。おかげで(?)大勢の方に励ましていただきながら、なんとか登頂にこぎつけました。
終わってみれば大成功でしたが、初めての子連れ登山ゆえ、いろいろ苦心もありました。かれこれ1ヶ月以上前の話ですが、来年、どなたかの参考になればと思い投稿します。

<心配する家族を説得>
きっかけは、テレビでみた富士登山のリポートでした。長女が「4才の子が頂上まで登ってるよ!私も登りたい!」というのです。登山そのものより、どうやら「金剛杖」と「焼印」が気に入ったようです。次女も、「大変だよ」といくら言っても分かるわけがなく、「自分も登る」と聞きません。子供たちがわくわくしている様子が、登山好きの私にはとても嬉しく、その場で連れていく約束してしまいました。
ところが、話を聞いた妻や祖父母たちが心配しはじめたのです。「こんな小さい子供でも登れるのか??」と。
まずは…
□登山道が整備されていて厳しい岩場などがなく、子供からお年寄りまで登っている
□山小屋がたくさんあるから非常時の対処がとりやすい
□心配なのは高山病だが対処法がある
と説明しましたが、やはり心配はつきないようでした。最後は「頂上まで行けるか分からないけど、『登りたい』と言っている今がチャンス」と言って、納得してもらいました。
私自身も不安がなかったわけではありません。でも、このHPで様々なトラブルの実例を知り、対策を具体的に練ることができたおかげで、弱気にならずに済んだのだと思います。

<欲張れなかった子供の装備>
楽しくも悩ましかったのが子供の装備です。我慢強いわけではない子供たちは、恐らく登ることで精一杯。それ以外に辛いことが加われば即リタイアと考えました。だから、防水性の高い雨具(ゴアではない)と登山靴、速乾性Tシャツを調達しました。新しい道具が揃うと、子供たちは俄然はりきって準備を始めました。懐は痛みましたが、思い切って購入してよかったです。
当初、予定していた子供の服装は…
(上)□速乾性Tシャツ□スキー用タートルネック□フリース□雨具
(下)□パンツ□ジャージ□雨具
(他)□スキー用厚手の靴下□軍手
(補)□着替え兼重ね着用Tシャツ□着替用くつ下□貼るホカロン
これで万全かと思っていたのですが、8月中ごろ、悩ましい状況に陥りました。まだ夏山シーズンなのに、山頂の気温が0度近くまで下がり、秒速15メートル近くの強風も観測されるようになったのです。体感温度は氷点下??この状況に雨などが重なれば、持ち合わせをすべて着込んでもきつそう…。防寒装備を増すべきかと悩み始めました。
試しにパッキングをして荷物の重さをはかってみました。私が8キロ、長女4キロ、次女3キロ、すでに結構な重さです。子供たちが荷物を放棄して私がもつケースを想定すると(実際にその通りになりました…)、これ以上荷物を増やすのは賢明でないと判断。装備に万全が期せない以上、「天気が悪い場合は登山を断念」と腹を決めました。

<続々襲来する台風に意気消沈…>
なんとしても天気のいい日に登ろうと、私の休暇は富士登山だけに使うことにしました。8月23日(月)〜27日(金)のうちからベストの2日間で登る計画です。ところが困ったことに、その時期、「過去最大クラス」ともいわれた大型台風15号と16号が日本に接近していました。台風はゆっくりゆっくりと進み、来る日も来る日も雨。台風がふたつとも過ぎさるのを待っていたら、夏休みも終わってしまいそうです。私も子供たちもすっかり意気消沈してしまいました。
でも、チャンスはやってきました。24日早朝、自宅付近(東京)は相変わらず雨模様でしたが、雨足は前日ほど強くありません。天気予報は「明日の午前中までは雨があがりそう。」気圧配置をみると、高気圧に覆われるほどではないけど、回復傾向ではありそうです。急きょ、子供たちをたたき起こし富士山に向かいまいした。しばらくは雨が降ったりやんだりでしたが、高速道路を降りる頃には曇りになっていました。そして5合目の駐車場で準備をしているとき、雲が切れ、忽然と富士山が姿を現したのです。一同、大いに盛り上がったことはいうまでもありません。
終わってみれば、この日は薄曇り〜晴れ(微風)。翌日もほぼ晴れ(微風)と願ってもないコンディションになりました。台風と台風の間隙をうまくつくことができたようです。

<余裕の日程のはずが…>
5合目の山小屋で子供用の短い金剛杖を買い、午前11時いよいよ出発。初日の目標は7合目です。スケジュールには大人の倍近い時間を見積もっていました。日没までおよそ7時間もあるので、「余裕をもって」到着する算段です。
最初の樹林帯から灌木帯にかけては順調なペースでした。やや遅めですが、意識的に休憩を多くとりながらなので、予定の範囲内。子供たちは虫を追いかけたり、鳥の鳴き声を聞いたり、風景を楽しんだりする余裕がありました。
ペースが狂い始めたのは本6合目過ぎ。まず次女が疲労のため荷物を放棄。しばらくすると今度は長女が生あくびを連発、続いて吐き気。「来た来た、高山病だ…」。
結局、私が全員の荷物をかかえたものの、子供たちの足は一向に進まなくなってしましました。日没まで1時間ほどありましたが、登山道は富士山の陰に入り、早くも薄暗くなってきます。困ったことに、持ってきた照明は小型のマグライト1個だけでした。いくら子供でも日没の数時間前には着くだろうと楽観していたからです。日没のプレッシャーから、以降はひらすら子供の尻をたたいて登らせました。
7合目の山小屋についたのは、日没とほぼ同時の18時でした。計画段階では、ひとる上の本7合目に泊まろうかとも考えていたのですが、7合目にしておいてよかったと胸をなで下ろしたのでした。

<山小屋にて親子苦しむ>
泊まったのは「大陽館」です。子供たちにとって初の山小屋、印象は「暗い」「布団冷たい」でした。でも、普段ぬるま湯生活をしている割には、暗闇の便所もぎゅうぎゅう詰めの寝床もあまり抵抗がなかったようです。事前にテレビなどをみて覚悟ができていたからでしょうか…??夕食はハンバーグにご飯に豚汁。ご飯と豚汁は存分にお代わりが出来て満足。ハンバーグはいまいちに思いましたが、子供たちはしっかり食べていました。
夕食後、荷物の整理などを済ませ、7時頃には床に着きました。次女はほどなく寝息を立て始めましたが、長女が寝付けません。横になると余計に気分が悪くなるというのです。目はうつろで焦点が定まっていませんでした。寝床で吐いたりしたら厄介なので、外の空気を吸わせたり、大部屋のストーブの近くで座らせたりして、落ち着くのを待ちました。長女がうとうとし始めたのは12時を回ってからでした。
私もほっとして床に着きました。ところが、横になると息苦しくて気持ち悪くて仕方ありません。今度は自分が高山病になってしまったようです。外では天気が荒れ始めたようです。吹きすさぶ突風が甲高いうなり声をあげ、粒の大きな雨がバチバチと屋根や窓をたたいています。「この体調のままこの天気が続いたら明日は厳しいな…」寝付けない焦りもあって、不安はどんどんふくらんでいきます。体をのばしてみても、深呼吸をしてみても、吐き気は一向に治まりません。時計を見るとまだ1時前。「いっそ寝られなくていいから早く朝になってくれ。」心の中で叫んでいました。
真っ暗な部屋には、ときおり、窓ガラスごしにまばゆい光が差し込み、サーチライトのように天井を横切っていきます。徹夜登山のヘッドライトでした。どのグループも外のベンチに腰を下ろし、「寒い」「雨がたまらん」と愚痴をこぼしています。普通なら「うるさい」と注意したくもなる音量でしたが、私は人の声が聞こえることでかえってホッとしていました。
そんなグループがいくつ通り過ぎたころでしょうか、少しばかりうとうとして、気づくと雨の音も風の音もパタリと止んでいました。若い女の子が「あっ、流れ星だ」とはしゃぐ声が聞こえてきます。天気はもちなおしたようです。私はようやく緊張が解け、気分が落ち着いてきました。冷静になると、狭い寝床に縮こまっているのがだんだん馬鹿らしく思えてきました。思い切って、左で寝ている我が長女と右隣の若い学生を体で押しのけ、手足を伸ばして眠りについたのでした。

<高山病くすぶるも気分は最高>
翌朝はすっかり晴れて、山小屋の前でご来光をみることが出来ました。子供たちも5時前に目をこすりながら起きてきました。私は内心心配をしていました。起こしたものの「眠い」「寒い」で終わってしまうのではないかと…。ところが子供たちは、刻々と変わっていく雲海の表情にみとれ、太陽が昇った瞬間の光の暖かさに喜び、私が「朝ご飯だから小屋に入るよ」と声をかけるまで、30分以上じっと見いっていました。(今でも一番思い出に残っているシーンらしいです。)
昨日、高山病に苦しんだ長女は、よく寝てすこし元気になったようです。一方、私は全然だめ。山小屋の朝食もみそ汁をすするのが精一杯、食欲ゼロでした。そんな私を元気づけてくれたのは最高の景色でした。薄いけど心地よく冷たい空気、眼下から盛り上がってくる雲海、…。青く深い空を見上げると、いく重ものすじ雲が流れきて、山頂にからんで舞い上がっています。まるで精霊が宿っているかのようでした。今、3000mを超える天空の中にいることを体いっぱいに感じていました。

<反省しきりの山登り>
山小屋は6時に出発しました。前日の夜、唯一の照明であるマグライトの電球が切れてしまい(替え電球もってこず、甘かった)、この日は日没後の行動は無理でした。下山時間を4時間みると、遅くとも2時までに頂上につかなくてはなりません。頂上まで8時間あるわけですが、前日、7合目まで7時間かかったことを考えると、正直きついタイムリミットです。そこで荷物は、長女が次女の分を、私が長女と自分の分をもって、最初から子供たちの負担を軽くすることにしました。(本8合目より上はトモエ館に子供ふたりの荷物を預けて(1個500円)さらに身軽に)
しかし子供たちは、出だしから「♪3歩進んで 岩座わる」という超スローペース。落ちている岩、すべてに座わりこんでいるのではないかと思えてくるほどです。下をみると、だいぶ前に通過したはずの山小屋がまだすぐそこにあります。「2時には着けないかもなぁ…」時計を見るたびにあきらめの気持ちが大きくなっていきました。
休憩している私たちを、たくさんの登山客が追い越していきました。口々に「小さいのに頑張ってるね」と励ましてくれますが、子供たちは苦しくて返事もできずむっとしています。かわりに応対していた私が嫌になってしまうほど大勢が追い抜いていったのですが、あるときを境に登山客の姿がぱったり途絶えてしまいました…??どうやら各山小屋を出発した登山客の最後尾になってしまったようです。
左手に見える下山道からは登頂を果たした人たちが意気揚々とおりてきます。まるで、学校の予防接種でこれから注射を受ける人(登り組)と終わった人(下り組)のように対照的な姿です。「うらやましい。」何度も思いました。
ほとんど会話もなく黙々と1時間ほど登っていると、私たちは再び登山客の列に飲み込まれました。今度は日帰り登山組でした…。
子供が登れなくなってしまう原因は、天気、体調、荷物の重さ、気力、…様々なものがあると思います。私たちの場合、いけなかったのは歩き方だったようです。私たちは5合目から終始、長女が先頭、次女を挟んで私が最後尾という順で歩いてきました。私が先頭だと大人のペースになってしまうと思ったからです。
終盤、私がしびれを切らして先頭に立ったのを機に、子供たちは徐々にペースを取り戻しました。7合目より上は登るごとに足がずり落ちる砂礫層、9合目からは段差がまちまちな岩場なので、「つま先をけり込んで登る」とか、「スキーのV字歩きのように登る」とか、「無理のない段差を選ぶ」とか、状況判断と工夫が必要になります。子供たちがペースを取り戻せたのは、私のルートをなぞり、まねをして歩けばいいだけになったからです。また、まだまだ小さいせいか、本当に辛そうなときは、手をつないであげるだけでも、楽に感じるようでした。
今思うと「どうしてもっと早く気づかなかったのか…」反省しきりです。

<子供を連れて行ってよかった>
息も絶え絶え、頂上にたどり着いたのは1時半。ペースをなんとか挽回して、目標の2時に間に合いました。
一番で山頂の鳥居をくぐったのは次女です。「ゴール!頂上!」と大きな声をあげると、居合わせた何組もの人たちが暖かく拍手で迎えてくれました。いままで泣きそうな顔で登っていたのがウソのように元気になっていました。
長女はゴールと同時に座り込んでしまい動けません。そしてぼそっと一言、「パパはどうして山に登るのが好きなの…?」と。長女にしてみれば「こんなに大変なことのどこがいいんだろう」という気持ちからこぼれただけの一言だったと思います。でも、私は親として感激してしまいました。山登りを通じて伝えたかったことのひとつをずばり聞いてくれたからです。そのとき、こんなことを答えたと思います。「今、見ているこの景色とかこの空気とかはね、がんばって登ってきた人だけのものなんだよ。お金を出せば買えるものとは違うんだよ。」「あっそうか」娘は小さくうなずいて、改めて景色を見ていました。「子供を連れてきてよかった…」心から思えた瞬間でした。

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end