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皆様より寄せらせた 栄光の体験記。役にたつお話・・・
 2009年版(1)

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■1 今年2度目の富士登山に挑戦しました 39歳女性

去年、こちらのHPを参考にし、初登山にして頂上まで登ることができました。
その感動が忘れられず、今年も富士登山に挑戦しました。

7月18日(土)

10:10 御殿場駅出発 曇り

11:20 須走五合目到着 曇り

ここで高所に体を慣らすため、早めの昼食を取りながら、しばらく過ごしました。昼食は、去年と同じ菊屋さんで、きのこうどんを。

12:30 須走五合目出発 小雨

無事に帰って来られますようにと、小さな神社でお参りして出発です。

13:50 六合目到着 小雨

前回は、少し歩いては休みを繰り返していましたが、今回はあまり休むことなく歩いてきたので、だいぶ早いペース。

14:00 六合目出発 小雨

休めば、かなり楽になる・・・と思いきや、逆に足が重くなってしまい元のペースに戻るまで時間がかかってしまいました。

14:55 本六合目到着 雨と強風

雨と風が強くなってきたので、早めにレインウエアを着用。

15:05 本六合目出発 雨と強風

風がだんだん強くなり、時折、歩いていられない状態に。遮るものが何もないので飛ばされそうになりました。

16:20 七合目到着 雨と強風

去年もお世話になった大陽館で宿泊。土曜日なので、宿泊率120%とのこと。通路にまで人が寝るような状態。
直立不動で寝るスペースのみが、自分に与えられた場所。隣は、赤の他人の男性。

16:30 夕食

去年同様ハンバーグと豚汁食べ放題。

食べ終えると、強風で外にも出られないので寝ました。
時々、目が覚めと強風の音と人の話し声が外から聞こえました。天候があまりにも悪く、山小屋に入りたい人が外で溢れているとのこと。
しかし、これ以上、収容できる状態ではなく夜間にも関わらず、下山するしか方法がないと言われていたようでした。
山小屋は基本的に避難場所なので通常予約の必要はないけれど、週末は混雑するので予約は絶対必要だと思いました。

山の天候は変わりやすいですし、先日も、北海道で山の事故があったばかり。ちゃんとした計画と、臨機応変に変更が大切とういうことを痛感。


7月19日(日)

4:00 朝食 曇りと強風

外へ出てみると、下界の夜景がきれいに見えました。
寝ぼけながらも朝食はしっかりと。

4:30 ご来光 曇りと強風

雲の隙間から、うっすらと光だけが見えました。ちゃんとしたご来光が見られず、ちょっと残念。

去年は、頂上まできれいな青空だったのに、今年は山頂に雲がかかり、強風は相変わらず。危険なので頂上アタックは断念。山小屋でゴロゴロすることに。

8:30 七合目出発 曇りと強風

恐怖の砂走り。2回ほど転びつつも去年より上手に下りることができたような気がします。
途中で風も止み、青空が少しずつ見えてきました。体力が余っている分、
景色を楽しんだり、ゴミ拾いをしたりして、余裕を持って下りました。

9:30 砂払い五合目到着 曇り

ここまでくれば、須走り五合目まで40分程。前日、雨が降ったせいか去年のように砂埃が立たなかったので全身ジャリジャリ状態になることはありませんでした。マスクもゴーグルもいらないくらいに。

10:10 須走五合目到着 曇り

七合目からだったので帰りはあっという間でした。去年同様、こけももソフトで疲れを癒しました。

バス待ちの長蛇の列。マイカー規制をしていない時期なので、路上駐車がものすごく多く、バスがなかなか上がってこられません。せめて、土日だけでも規制したらいいのに・・・。1時間以上待って、やっとバスが来ました。

今回は、残念ながら頂上までは行けませんでしが、後で聞いた話によると、8合目はどしゃぶりで引き返した人もいたとか。
無理をしなくて良かったなあと思います。今回は、自然の恐ろしさを実感しました。でも・・・やっぱり富士山は魅力のある山です。

また、機会があれば、登りたいと思います。

■2 五年連続富士山に登って、感じること!!

 2005年に最初に登山し2009年今年で五回目の登山となった。昨年は古希富士山高齢登拝者名簿に載った。
 七十五歳の人が77名 七十四歳の人が115名 七十三歳の人が143名 七十二歳の人が188名 七十一歳198名 七十歳の人が72名
 昨年暮れの時点でこのような人数になっていた。最高齢は94歳の方を筆頭に古希を迎えた人達まで合計すると1135名となっていた。日頃の精進が如何に大切か感じた。健康管理の大切さを学びやっと七十一歳で五回登る事が出来た。毎朝犬と一緒に約一時間の散歩 マンションの12階に住んでいるので散歩の後非常階段を登り、土曜日日曜日の天気の時は近隣の山に登山 その中で月一回はツァーに参加し本格的な山登り このようにして足腰を鍛えてきた。これからもこのようにして体力を鍛えて行こうと思う。これらはどれを取っても有言実行しかない。今年は一月から七月まで徹底的に訓練し富士山に難なく登る事が出来た。しかし富士登山の鬼門は呼吸の仕方 次には持っていく荷物の内容と重量 今年はこの二つに絞り徹底した。その中でも水をどうするか。七合目までボトル二本 それ以降は状況を判断し購入することにした。菓子類は最低限の分量に二日分に小分けした。飴類はズボンのサイドポケットに入れた。しかし下山すると菓子類や飴は約小分けした半分は残っていた。まず食べると言う行為は年々少なくなっている事を実感した。山小屋で食べる食事も疲れているせいか量は出されるだけで十分であった。水は翌朝八合目で二本補給しお鉢めぐりし二日目の泊まる山小屋まで十二分であった。これもひとつは天気の状態を計算に入れる事が大切なことであると感じた。

 高山病にかかった人を見たがあのつらさは本人しか判らないのかも知れないが、体調が変化した予兆は掴むことが出来ていたのではないかと思うが、ガイドの方や添乗員の方に体調に変化が出たら即お話し、処置をしてもらう事が大切であることを今回も見て感じた。間違った呼吸法を取り入れ呼吸しているケースもあった。ガイドさんが付いて呼吸の方法を教え習得したら変調をきたす人が少なく、ツァーは予定通り進行した。
 本当に五回登って今年一番感じたことは、登山道の整備がされ年々良い登山道が出来上がっていたこと。落としゴミも少なくなっているがまだまだゴミが落ちている。慎み止めて貰いたい事は一列でしか通れない道を追い越しをかける人がいると言う事は完全に禁止するようなPRをしてなくしてもらいたい。また谷側に座りこむ人も見かけた。非常に危険な行為である。落石につながり事故でも起きたらと感じた。

 次に天気の予報のあり方については静岡県も山梨県も今の状態を改善して頂きたい。山頂の天気予報 各登山道の予報 登り口の予報などが不十分な状態になっているように思います。どのような情報伝達方法が良いのか具体的には判りませんが、世界遺産になるためにも関係省庁との連携もあるかも知れませんが何処からでも今日の富士山の山頂の天気は晴れとか曇とか雷とか雨とか瞬時に判るようにしてもらいたいものですね。山に行く楽しみは既に計画した時点で始まっているわけですから、富士山を中心とした周辺を含め予報を出して頂きたい。

 また携帯電話の通信機能の整備も急いでもらいたい。どこからでも連絡が取れる仕組み仕掛け作りが遅れているような気がします。夏の登山期間だけでも携帯の装置をポイントポイントにおいて携帯通信が出来るように携帯電話会社も取り組んでもらいたい。安全安心管理のためにも急ぐ問題と感じました。

 最後に富士登山の魅力を探してきているが、魅力が見つからない。しかし毎年登ってみたいと言う気持ちだけは沸いて来る。吉田口登山道の3000m表示看板が無くなっていた。何かの理由でなくなったのかも知れないがあのような看板があることはひとつの記念になるし写真が撮れる。またお鉢めぐりコースも今年は山頂折り返し登山であったが、現地に入って初めて知る事前情報が欲しい。山の高さの問題大正時代に建てられた碑に刻まれている高さと現在の高さにも大きな誤差がある。歴史がこのようにしたのでその理由などが明確に判るように看板などを立てて教えて欲しい。歴史がわかれば山登りも違った角度で魅力が沸いて来るような気がする。最後に山のルール規則は一人ひとり守っていかなければ皆無につながらない。今年の登山を反省しまた来年の事を考えてみたい。最後は天気に恵まれた五回であったが一度は最高の条件を選んで登ってみたい。今月もうすぐ広島は八月六日は平和記念式典が開催されあれから64年目の夏を迎える。

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■3  2009年8月1日 初めて登りました!

2009年8月1日 初めての富士登山に行ってきました。

当初友人から誘われたときは、ほんの軽い気持ちでしたが、過去に一度も山登りの経験が無いので、せめて体験記でも読んでおこうとこのサイトを見つけました。

読み始めて、「ちょっと待って!なんだか大変そう・・・えっ・・・どうしよう・・・」と、行くと言ったことを思いっきり後悔する始末でした。しかし、いまさら止めるとも言えず、せめてと思い、装備は完璧にそろえ、このサイトを毎日何度も読み返し、呼吸法も練習し・・・そして当日(天気しだいで潔く諦めるつもりでした)

絶対雨で、御殿場観光になるだろうと思っていましたが、五合目まで行ってみても、中途半端なお天気。ミスト状態でしたので、登山決行となりました。

メンバーは経験者(男性)2人と、初登山(女性)4人

朝7時前に吉田口5合目を出発私のペースに合わせてもらった為、本8合目の富士山ホテルに着いたのは6時間後の午後1時前

頂上を目指すかどうするか相当悩みましたが、自分の体力がどの程度のものなのか、わからなかったので、下山の体力を考え、私は頂上へ行かず、ここで他のメンバーをお見送りすることにしました。

頂上へ行ったメンバーが戻ってきて、下山を始めましたが、予定より遅くなったため、5合目まで降りてくるとかなり暗くなってしまいました。

時折晴れ間も出ましたが、ほとんど曇りか霧雨で、かえって登りやすいお天気だったように思います。もちろん砂埃もありませんでしたし。

行く前に膝に痛みを感じていたので、頑丈なサポーターを装着して行ったところ、全然痛みを感じず登れました。下山は念のため、ゆっくり横向きで降りたので、時間はかかりましたが、膝はなんともありません。

呼吸と水分(スポーツドリンク)補給を気をつけて登ったのが良かったのか、高山病の症状は感じず、とても楽しく登山を終えることができました。

もし、また機会があれば、今度は頂上まで行きたいと思いますので、(機会があるかどうかわかりませんが)今から体重を落とし、脚力を付け、万全の体調で臨みたいものです。

このサイトには本当に助けられました。ありがとうございました。

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■4 富士登山---7月14日〜15日 富士の宮口

昨年2008年版の体験記5番目に載せて頂きましたが今年からは登れる限り毎年登ろうと宗旨変えしたので改めて今年の登頂記を送らせて頂きます。

今年の富士登山計画は7月27、28日に富士宮口から4人で登る予定だが今年の富士山は例年になく残雪が多く、7月1日の登山開山日になっても6合目から8合目までしか登れず、ようやく6日になって河口湖口からのルートが頂上まで行けるようになった。富士宮口はいつ頃から登れるようになるのか連日富士山登山情報を見ていたが13日夜半に14日0時からようやく頂上まで解禁になる事が判明。

この情報を得て、本番に備えて「明日下調べに行ってみよう」と言う考えが浮かんだ。(複線的には昨年は17、18日に行ったので当初は今年は13〜15日頃を第一目標に考えていた)幸い、天候も良さそうなので夜10時過ぎてから急きょバタバタと支度を始めた。

14日当日はJR最寄駅から三島駅まで電車で行き、三島発AM10:15の五合目行きバスに乗る。車窓からは中腹に雲がかかっているものの富士山の頂上はよく見える。

約2時間強のバスに揺られてPM0:25分に新五合目に到着。その駐車場では前夜来、落石事故が有りキャンピングカーの登山客が1人亡くなった事故が発生して警察や報道陣が盛んに現場検証しているではないか---思わず合掌して冥福を祈る。

5合目で高度順応の休憩を考えたがはやる気持ちから昼食に山菜うどんを食べてすぐにPM0:40分に出発する。

穏やかな天候に恵まれて順調に登る。高度順応を考慮して意識的にテンポを落としているので苦しさはほとんど感じられない。1時間休まずに登ってPM1:40分新七合目小屋に到着。ここで一寸お茶休憩してすぐに出発。PM2:20分元祖七合目。PM15:00八合目小屋に到着した。本番の計画ではここからブルドーザー道を直進して御殿場口に向うのだが御殿場口はまだ閉鎖されているので今日はこのまま富士宮口ルートを行くことにする。

見渡せば既に3,000mを越えた世界だ。雲の先にはうっすらと駿河湾の湾曲した海岸線が続いている。あの辺が田子の浦海岸なのだろうか---手前に有る山塊は愛鷹連峰に相違ないななどと納得しながら景観を楽しむ。唯、このコースはこの時期花らしい花があまり見当たらない。わずかに会津磐梯山でも良く見られたミヤマハタザオ(富士ではフジハタザオ)の白い花が目立つ程度であとはイタドリ、オンタデといった富士独特の灌木地帯である。植生からすると昨年の須走り口の方が豊かに思えた。

8合目を過ぎると傾斜も段々きつくなり息も苦しくなったので更にテンポを落とすが結局休憩は七合目と八合目で約5分程度ずつ休んだだけでPM3:35分には九合目万年雪山荘に着いた。3時間弱で登ったことになる。案内書では4時間と書いてあるのでかなり早いペースだった。多分ゆっくりでも休まず登ったことが大きかったのと去年の教訓で呼吸を深く吸う事を心掛けたので高山病の症状も出ずに登れたと思っている。

山小屋で宿泊の手続きをして早々に宿泊所に入ると同年配とおぼしき男性が2人。話をする内に1人は今年77歳で富士山は今回で44回登った由、昨日の夜、車で新五合目に着き、事故の有った車両から5〜6台しか離れていなかった。とのことで人の運命は本当に分からないものだと思った。もう一人は67歳で富士山は7回目だったかな---と云っていたが後からもう一人加わってこの部屋4人が全て年寄りの単独行登山者と判った。

後から加わった方は単独で海外の山にも何度となく登っているそうで旅先で三浦雄一郎に会った話もされていた。又、富士山頂の奥宮神社では数え70歳以上の登山者は記帳すると毎年の長寿番付表を作って送ってくれるとのことで一昨年の最高齢者は100歳だったそうだ。又、例年70歳以上で記帳する人は約1,000人ほど居るらしくいまどきの年寄りは元気だなあ---と痛感した。でも数えでいえば来年は自分も記帳出来る年なのだ。何やら複雑な思いである。

PM5:00に部屋を出て食堂で味噌ラーメンとビールを頼み、持参のおにぎりで夕食を摂る。

6時頃には寝床に入り眠ろうとしたが周囲が騒々しくて耳栓をしても全く眠れない。なにかしら神経が高ぶってしまっているので精神安定剤のようなものを飲まなくは駄目なのかも知れない。

それでも小2時間程はうつらうつらしたかも知れないが12時頃から夜半出発組が動き出し又、目が覚めてしまった。

私も3時に起床して外に出ると雲の切れ間から御殿場の町と思われる夜景がまるで宝石のように輝いて見えた。南方に眼を転じればやはり別の町明かりが雲か靄の中にかすんで見えるが期待した満天の星はほとんど見えない。しかし寒い。

小屋を回ると吹き付ける風が強烈で早々に小屋の中に戻ると菓子パンと水の朝食を摂りAM4:00に小屋を出発する。富士宮口の山小屋からは御来光が見えないので出来れば見えるところまで登っておこうと思った。

小屋から離れ、風の通り道に出ると思わず体がよろける程の強風にさらされた。冬用ではないが中綿の入ったポリエステル100%の風防付きジャンバーが無かったらたちまち体が冷え切ってしまうことだろう。

先日量販スーパーで買った399円の1灯型LEDライトも結構役立った。

AM4:33分に9合5尺小屋に着いた。ここでは御来光を待つ10数人の登山者が居たが見えるか見えないかはなはだ微妙な天候だ。

ようやく白み始めた眼下には黒い山塊に山中湖が鏡のように鈍く光って見える。その先には箱根外輪山さらに先には相模湾の湾曲と江の島や三浦半島の黒い線が続いている。

東の空は赤みを増してもうすぐ日の出の時を迎えようとしているが頂上に着くまで間に合いそうにはない。結果的には頂上へ着いても御来光は富士山河口の縁を回って反対側(剣が峰)に行かなくては見えない事が頂上へ着いて判った。


最後の鳥居をくぐってAM4:50分に富士宮口山頂へ到着する。東の空はまだらな雲間から既に上っている太陽の光が茜色に輝いている。それにしてもすごい風だ。風だけでなく石つぶてが容赦なく飛んでくるので顔を風に向けることが出来ない。

それでも山頂には既に昨夜から登った登山客が大勢居た。

最初方向が良く判らずに右回りに10分ほど歩いたがすぐに奥宮は反対だと判り戻ろうとするがこれが風に逆らうことになりまるで這いつくばるようにしなければ進めないのだ。風速にしたら瞬間的には50〜60m位はあるのではないだろうか---風と共に飛んでくる火山歴の石つぶても怖い。じっとしていても両足を力いっぱい踏ん張っていなければ体が持って行かれそうになる。なんとか岩陰や鉄杭、防護フェンスを利用して戻ったが急激に体力を消耗した。

それでも早朝の澄み切った山頂からの眺望は筆舌に尽くしがたい。お鉢を半周する合間に目に映ったあらゆる景観(実際はごく一部かも知れないのだが)をともすれば風に焦点を固定出来ず、また口や目や鼻に容赦なく入り込む砂粒手に耐えながらも眼下の景色をなんとかデジカメに収めた。

奥宮で記念撮影をしてさらに剣が峰を目指そうとしたが目の前に見える剣が峰の馬の背に人影は見えない。風向きからするとあの斜面の風当たりは更にひどいに違いない。やむを得ず今年は富士山最高峰への登頂は断念する。お鉢の縁にある水溜りの縁はシャーベット状に凍っているではないか。寒いはずだ、手がかじかんでマスク代わりのタオルがなかなか結べない。

再び右回りにお鉢を回る。強風に翻弄されながらも何とかAM5:30頃浅間大社に着くことが出来た。計画ではここで熱いうどんでも食べるつもりであったが容赦なく吹き付ける風でうどんもすぐに砂交じりになりそうなので断念してAM6:00に下山開始する。下山路は昨年と同じ須走り口に降りることにした。途中下山路の雪壁は高いところで2m近かった。今年の降雪量の多さを実感出来た。


2008年


2009年

AM6:40分8合目江戸屋、7:05分大陽館を通過してそこから大砂走りを一気に下る。風向きは丁度吹き下ろしである。体を風に乗せるように後ろに反らせて両足を左右に突き出すようにするとうまい具合に降りることが出来た。



須走り口新5合目の菊屋に着いたのはAM8:00。下り始めてから2時間で降りたことになる。

ここからAM8:30発のバスに乗る。出発直前のバスから見た富士山は青空にくっきりとした山肌を見せてあの荒れた天候の兆候はまったく窺い知ることが出来なかった。


御殿場駅にAM9:25着。電車はAM9:26発だがバスが若干早く着いたのですぐに乗り継ぐことが出来、AM10:30には自宅に着いた。

昨年は初めての富士登山という事でかなり慎重に計画したが今年は急に思いついて飛び出した割には問題も無く行けたと思う。なによりも標準的な時間よりかなりハイペースで登り、降り出来たことはこの1年間の山行きで鍛えられた成果だろう。

それにしてもあの強風は怖かった。帰宅してから数日もしないうちに北海道のトムラウシ山での10名遭難事故とさらにその2〜3日後の富士山での2名滑落死亡事故を知ってあの風の中で雨に降られたら何が起こっても不思議ではないと思った。山に登るとき装備は常に万全を期さないと駄目だと痛切に思う。

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■5 初めての富士登山
09年8月8日28(金)に、富士宮口新五合目より剣ヶ峰のピストンをしてきました。初めての富士登山でしたが、昨年挑戦してあっさりあきらめていた為、二度目の挑戦でやっと念願が叶いました。昨年の失敗は、富士宮口の交通規制がかからない8月の土曜日の富士宮口新五合目の駐車場に、朝4時に到着予定で車を飛ばしていましたが駐車場の5km手前で渋滞、交通整理のオジさんの誘導で車を回転させ、道の下り側にきちんと停車させてられました。皆さん、怯まず登山準備してを始めましたが、500台駐車可能な駐車場が満杯な上に、5km路上駐車の人の数を頭の中でボーッと考えて、剣ヶ峰に立つには須走口、河口湖口とあるんだからと思った瞬間、車を走らせ帰途に就きました。家に帰ったら、妻に何しに行って来たのと言われましたが、ドライブと答えるしかありませんでした。富士山恐るべし、富士山に登るなら絶対に平日。昨年の教訓でした。今年はお盆に休日出勤した為、その代休が発生したため8月28日に代休を取得してあった為です。本当は、剣岳の早月尾根の日帰りと富士山の天気の良いほうに行くつもりでしたが、あいにく剣岳は天気が悪く富士山になりました。富士宮新五合目の駐車場は、どの位混むのか解らない為木曜日に仕事が終わるとスーパーに寄り買い物をして真直ぐ向かいました。PM8時30分到着。運よく(悪かったのかも)登山道の取り付きのすぐ近くに駐車できました。トイレの位置だけ確認して、ビールで一人で乾杯。飲みすぎと注意する妻が居ない為、調子よく飲みすぎてトイレに行くのが大変でした。夜中、引っ切り無しに車、バイクが到着。そのたびに支度を整え皆さん出発。富士山恐るべし。車の中で仮眠するつもりでしたが、登山道の取り付きの駐車だった為車の音、登山者の音でなかなか寝付けませんでした。朝4時ごろ出発すれば良いかなと思っていましたが、3時ごろからウトウトしたようです。AM5時少し前に起きました。ヤバイ。と思いましたが、まーいいか。一日あるのだからと思い直し朝ごはん。スーパーの値引きのカツ丼を食べましたが、これは失敗でした、歩いている間中、お腹が重かった。歯を磨き支度を整え5時10分出発。すぐ上の公衆トイレで用を足し5時15分再度出発。寝不足で頭がイテーと思いつつ、ペースを思い切り落としてゆっくり歩き出しました。それは、妻がテレビで富士山の番組を見たようで、高山病の事を耳にタコが出来るくらい言われました。私は、休むことがほとんどない為、今回は高山病を恐れて山小屋のところで必ず座って休みました。8時に剣ヶ峰到着。今までこんなスローペースで歩いたことはありませんでした。頂上でゆっくりして、浅間神社でお参りして、おみくじを引いたら大吉、ラッキー帰りは2時間くらいでした。AM10時45分に車に到着。駐車場は渋滞。もう満杯でした。帰る車を待ってそこへ駐車する為です。着替えをして片付けて11時前に帰途に着きました。富士山はやっぱり日本の象徴です。平日にこの混みようですから。富士山恐るべし。皆さんは、本当に凄いです。蟻んこの行列になっても山頂を目指すんですから。因みに、私は50歳、男です。ほとんどの山は日帰りしています。鹿島槍、塩見岳、聖岳は登り4時間です。ヘルニアもちの為ジムで出来る限り鍛えています。

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■6 富士山登山記 (2009年8月7日木曜日午前5時25分登頂成功) K.S記

 8月6・7日、私は45年降り2度目の富士山登山をすることになった。登山をすることになった経緯は、友人のFさんが実に意気軒昂、意欲満々な人で、TVで見た青蔵鉄道(中国青海省西寧からチベットのラサまでを平均海抜4,500m、走行距離1,950kmを27時間で結ぶ鉄道)の車窓から見る高原風景に魅せられ、来年の6月頃にツアーを計画することになった。ところが高山病という我々には未経験の問題があるので、それなら富士山登頂で体験してみるのがいいだろうとなった。また彼は “日本人に生まれたからには一度は富士山の頂上に立たなくては”と念願でもあったという、彼は69歳で9月に古希を迎える記念に、それなら無理のないツアーで富士登山をしようということになった。初めは5人の登山希望者がいたが、日が近づくに従って、一人減り二人減りして、最終的に我々二人で決行することになったのである。

 6日午前6時40分に新宿西口で落ち合い、駅構内の朝飯屋で腹ごしらえをし、バスツアー集合場所のUFJ銀行前に行く。ツアー“まるごと富士登山”Wトラベルの担当者がバスに案内してくれる。7時30分新宿を出発。ツアー参加者は35名で男5人、女30人と圧倒的に女性が多い。なんで富士登山が女性に人気なのか分からないが、ツアーの“まるごと富士登山”は登頂から下山までガイド付なので、女性や年寄りに優しいツアーだからかと推察する。
 渋滞もなく中央高速を順調に走り、10時近くに河口湖ICで高速を下り富士スバルラインに入る。登山の出発点となる五合目が近くなると、やはり山の天気は変わりやすいのか雨となる。天気予報では今日は雨で、明日は晴れるそう。自家用車で来てる人達は駐車場スペースの関係で五合目からかなり手前の駐車場に強制的に誘導され、そこから五合目まで歩いて行かねばならないが、バスツアーはその点優遇されている。五合目近くになると道路脇には数え切れない程のバスが並んでいる、ナンバープレートには京都、大阪など全国各地の地名がみえる。五合目広場(標高2,300m)の駐車場もバスで満員、広場を囲んで立つ3?4階建ての建物が数棟、見た目にも立派な山小屋でその中におみやげ屋、レストラン、着替え部屋、宿泊施設などが配置されている。雨は強くなったり弱くなったり、時々止んだりを繰り返している。建物の中に入れない人達はカッパを着て雨に打たれながら広場に屯している。これから登山する人達、下山して帰る人達でどこのお土産やもレストランも溢れかえっている。ツアー会社指定の富士急雲上閣へ入り三階の着替え室で登山支度をする。20畳位の部屋は足の踏み場も無いほどで、疲れきった人達がごろごろと寝転がり仮眠をしているし、階段にも沢山の人が腰を下ろして寝ている。二階のレストランは丁度昼時でごった返していたがやっと席を見つけて中華丼を注文するが、どうみてもレトルト食品、それが1000円とは場所が場所とはいえ高い。水も一人一杯と張り紙がしてある。合席になった男性が下山してきたばかりだそうで、登頂成功を祝って一人で美味しそうにビールを飲んでいる。我々も明日はここで登頂成功の乾杯をしているのが目に浮かぶ。
 雨の広場では各ツアーのグループが集合して出発前のミーティングをし、頑張るぞ!などと気勢をあげている。12時広場に集合してガイドの注意事項や行程を聞き、我々35名にガイドとバス添乗員とで頂上を目指して五合目を出発する。今日は7時間かけて上り、本八合目の上江戸屋という山小屋まで到達し、夕食と仮眠をそこでとることになっている。そこまで行けば、翌日の頂上アタックは楽だという。
 元気一杯やる気満々のFさんと、雨で視界が悪く何も見えないが無駄口や冗句を云いながら足取りも軽やかに歩きはじめる。五合目から六合目へは下りで始まるので勿体ない感じがするが、途中から登り坂になり一時間くらいで六合目の安全指導センター前を通過、そこから七合目まで1時間、緑や木々が徐々に無くなり視界は広くなるが、雨のため残念ながらきれいな下界の風景は何も見えない。このあたりで段々と辛くなり足取りも重く、皆無口で足元を見ながらひたすら歩き登り続ける。休憩時間が待ち遠しくなる。ツアーのグループが一列になって登る横を家族連れや元気な外人が追い越して行く。韓国語、中国語、英語そして関西弁がやたらと飛び交う。はとバスグループの女性ガイドのよく通る声が上の方から響きわたる。我々のガイドは声が小さく、グループのどん尻にいる我々には何を言っているのか聞こえないことがしばしばあったが、先に上っているはとバスグループや更にその上を上っている他グループのガイドの大声で状況が分かったり、元気づけられもした。瓦礫だった登山道が岩場に変わり、勾配もきつくなる。まだ日中なので雨は降っているが周りは明るく、足元は良く見える。岩が濡れているから滑って危険だし、上を見ると落石止めの鉄製防止柵が沢山取り付けられているが、その間を縫ってこちらに向かい転がり落ちてきそうな大きな岩石があちこちにあるのが恐ろしい。ここで地震でも来たらあれもこれも落下してきて我々グループは全滅だなと思ったりする。四つん這いで登るときには杖が邪魔になるし、段々と足腰が酷く辛くなる。六合目の安全センターから1時間半以上、いや2時間も過ぎただろうか、四苦八苦の末七合目2,700メートルに達する、
      
 七合目で初めての山小屋の花小屋、日の出館の脇を通り、上を見ると更に沢山の山小屋が見える。頻繁におきる自然渋滞で歩みが止まる、また動くとすぐに列が止る、これを繰り返して少しずつ進む、こんなスピードなら八合目の宿泊場所まで明るいうちには着けないだろうと不安になる。個人で来ていたら辛さ、苦しさ、痛さに嫌気がさして登るのを止めて帰ろうというだろうね、とFさんと話す。数年前、数人で登山した友人のO君が八合目で挫折してUターンしたという話を思い出す。彼の心境が分かる気がした。我々はグループで登っているから、ここで落伍して他の人に迷惑をかけてはいけないという気持だけが足を上へ上へと動かしてくれているような気がした。あたりは薄暗くなり、雨は時々やんだり、また強く降ったりを繰り返している、幸いに今日は風が無いので寒さは感じない。これで風があれば体感温度も下がり厳しいだろうなと思う。酸素も確実に薄くなってきているのだろう、ガイドは休憩の時には深呼吸をするようにと盛んに注意している。既に頭が痛いという人が出てきた。休憩の時あちこちで携帯酸素を吸う、シューシューという音が聞こえるが、我々はハワイ島のマウナケア山(4,200m)で実践している有圧呼吸法という高山病予防法を学習してきたので、それを歩きながら続けていたのが良かったのだろう、幸いに携帯酸素を吸う必要も感じない。
 七合目から二時間くらいはかかっただろうか、八合目3,020メートルに到達する。本八合目の上江戸屋はここから更に上に340mのところにある。平地の340mはわけないが、岩場の登りは順調にいっても80分、我々には2時間はかかるだろうか。暗くなった中で岩場を登るのは辛い。休憩のときにヘッドライトを装着しなくてはと探すが、リックの中の何処に入れたのか見つからず、グループの列が動き出したので探すのをやめた。何とかなるだろうと思っていたが、八合目を登るにつれますますあたりは暗くなり足元は見えなくなった。あちこちでライトが光りだす、Fさんが準備よくヘルメットの上に装着してたので、そのヘッドライトが煌々と光輝き足元を広く照らしてくれるので私も周りの人達も随分と助けられた。山小屋をいくつも過ぎ、更に上の山小屋を目指して登る、登るしかないのだと言い聞かせて黙々と登る。山小屋の周囲には強烈なトイレ臭が漂う、これだ!富士山が世界遺産に登録されない最大の原因は、TVなどで見聞きしたが富士山の山小屋では糞尿を垂れ流しにしているそうだ。塵が酷いとも聞いていたが、塵はひとつも見なかったので不思議な気さえするが、この悪臭には幻滅した。山小屋のある七合目から八合目上まで辛さ苦しさに酷い臭さが加わり、高山病予防の深呼吸などとても出来ない、富士登山は正に修行苦行なのだと自分に言い聞かせるしかない。途中で登山を断念して、上から下りてくる軽装の外人夫婦や若者などを何人かを見たが観光気分での登山者にとっては富士山は厳しい山であると思う。
 午後7時過ぎ本八合目3,360m、やっと今晩の宿となる上江戸屋に到着した。数グループが宿泊するので山小屋の入り口はごった返していて暫く入るのを待たされた。山小屋の人が、三階の奥の部屋に10人入ってください、天井が低いので頭をぶつけないように、と注意している。登山靴を脱いで渡されたビニール袋に入れ、濡れた雨具を着たままリックを手に垂直の短い梯子みたいなのをよじ登るが、一階、二階には既に沢山の人が仮眠しているのだが、その側を物音を立てないようにして三階の指定場所に行くのは難しいし、確かに天井が低くて四つん這いで頭をぶつけない位の空間を、荷物を引きずって匍匐前進の格好で潜り込むのも簡単ではない。二人でタタミ一枚分のスペース。事前に聞き知っていたがかくも狭いとは驚きで、布団はビニールで出来ているのか濡れて冷たい。雨具を着たまま、横になってもいいような布団だ。ここは男女の別なく入り込んだ順番に奥から横になる。横になって雨具を脱ぎ、肌着や靴下を替えるのも一苦労。男はいいが、隣に居る女性は着替えも出来なく可哀想。やがて我々35人のグループに階下から夕食の準備ができたと声がかった。一階に下りると、食事は入り口入ったところの部屋、ここでも仮眠する人たちが居て、その人達は部屋の隅で我々の食事が終わるのを待ってくれている。早く席に着いた人は食事を開始していた。ガイドが明日の起床は午前二時、仕度でき次第出発すると話している。食事はレトルトのカレーライスで福神漬けが申し訳程度に付いてるだけ。美味しく無いが食べるものがこれしかないので一気にかき込み夕食終了。後で気がついたが別料金でうどんなどあったが、食べたい気持ちを抑え早く寝たほうがいいだろうと寝床によじ登る。
 一階も二階も電気が消え静まり返っている、仮眠の時間は5-6時間位あるので十分休養できるが、なかなか寝付かれない。私の右横で寝ているFさんは、隣に女性が寝ているので無理して?私の方を向いて既に高いびき、私の左側は3メートル下に廊下、転落防止の何物もなく、下手に寝返りを打つと廊下に落ちる危険性があるのでまんじりとも出来ない。右耳のすぐ側にFさんの口があるので鼾には閉口した。富士登山の注意事項に、耳栓を持参すべし、とあったのを思い出し納得する。山小屋での仮眠の時間は、眠れない者にとっては辛いものだ。時々、個人かグループか定かではないが、この山小屋で仮眠をとるために入ってくる客の会話が続き雑音などが耳障りだ。山小屋の人が、トイレの利用は一回100円を払ってください、トイレットペーパーはありますが、便器に流さず箱に入れてください、など一通りの説明をしている。うとうととしたと思ったら、突然両足の太もも、ふくらはぎが経験したことない程の強烈な引き攣りがあり、上体を起こして歯を食いしばって回復を待つが簡単に元に戻らない。一瞬、登頂断念が頭をよぎる。もめど、叩けど硬直した筋肉はぎりぎりと痛むだけ。横で寝ている人達に迷惑をかけてはと、音を立てずに痛みに耐える苦しさ、知ってか知らずか熟睡の福田さん。
 午前零時を過ぎる頃から、一階や二階の客が起きだし出発準備の物音や、どやどやと廊下を歩き動き出す人が多くなったので、こちらも少しずつ準備を始める。どうなるかと思った足もやっと痛みも消え、Fさんや周りの人達も起きだしたので、暗い中を手探りで移動して一階に下り準備完了して、水のペットボトル一本を買ったが500円と高い。外に出る。少し期待していたが雨は止まず、とてもご来光は拝めないだろうと残念に思う。風がないので寒くないのがせめてもの慰めか。出てきたガイドと挨拶する。ガイドは、全員揃うのが遅れてるので出発が2時半位になりますという。この時間は下から大勢の人達の光の列が登って来てるし、上を見るとこれまた見事な光の列が九合目目指して続いている。その列が時々動きまた暫く動かない、大変な渋滞となっている。上江戸屋のところの狭いスペースに人が溢れかえっている。点呼があり、高山病にかかってるらしい女性二人を山小屋に残して出発することになった。我々はいつになったら動けるのかと心配したが、ガイド連中で何らかの決まりがあるようで、わけなく横は入りして、渋滞の岩場を登り始めた。準備したヘッドライトが足元を照らし具合がいいが、後ろを登るFさんのライトは電球が4個付きの高価なライトで照度が抜群にいい。動いては止まり、動いては止まり、止まっている時間の方が長いように思う。九合目の山小屋が見えるがこんなスローな動きでは何時になったら到着するのかと不安になる。中には五合目から休みなく登ってきてる人達も大勢いるに違いないし、登山道路脇の斜面の岩に腰を下ろし寝ている人もあちこちに居る、そんな人たちに比べると我々は仮眠しているから元気なほうだろうし、彼らには午前2時から3時は一番疲れて眠い時間だろう。こんなスローな調子で一時間半で本当に頂上に着くのだろうか。雨は小降りからまた少し強くなったり、時々止んだりして気まぐれな雨である。遠くの空が薄明るくなっているのが見えるが、天気予報では晴れなのに富士山頂は雨でかすんでいる。九合目の山小屋に着きベンチに座り込むようにしばし休憩、すっかりあたりは明るくなり、ヘッドライトも必要なくなった。小休止のあと頂上への最後の岩場に取り付く。このあたりは頂上に向かって登山道路も幅広く、それぞれ思い思いに岩場を登っていく元気な連中がいる。他のガイドが、元気な人は右方面の岩場を登ると頂上に近道ですよと叫んでいるが我々には余りにも急勾配過ぎる。落ちてきそうな岩があるが、ここの岩は落ちないから大丈夫ですよという。左側遠くを見ると、既に頂上を極めたグループが次ぎ次ぎと下山道を下っていく、早い時間に頂上に到達したが雨でご来光も望めないと判断し、早く下山にかかったのだろうか。晴天の時には、狭い頂上はまるで銀座のように人でごった返して足の踏み場もなくなるそうだから、今日はその心配はないだろう。突然階段の上に鳥居が見え多くの人が群がってそのあたりで写真を撮っている。ガイドがもうすぐ頂上ですよ、という。疲れた足も急に元気が戻ったようで最後の力を振り絞って登り、3,776mの表示のある石碑の側でFさんの登頂証拠写真を撮る。

    

 7日午前5時25分ついに目的地に達したのだが、雨は止んだものの下界は雲か霧で何も見えない。ご来光は拝めなかったが、古希を目前にしたFさんとシルバーエイジの二人がよくぞ日本一の富士山を征服したものだと感慨もひとしおなり。健康に感謝、感謝。福田さんが仲間に登頂成功の電話を入れて、登ったものにしか分からない辛さ、苦しさ、そして感動などを話している。上江戸屋でもらった弁当を頂上の山小屋で食べることにした。ここは何か一つ注文をしないと山小屋内のベンチに座り弁当を食べてはいけないことになっているようで、壁に下がっているメニューを見ると、ビール350mlが600円、水500円、カップヌードル500円、バナナ一本200円などなど、仕方なく500円の味噌汁を注文する。そして問題のトイレは200円也。食品や日用品など全てを五合目から大型ブルや人力で運んでくるのだろうから、物価が異常に高くなるのはいたし方ないだろう。こんな物価高のところに暫く暮らしていたら、下界の物価はとんでもなく安く感じるだろうなと変なことを思ったりする。弁当を食べていると我々のバスの添乗員が入ってきて、集合は6時10分で雨の頂上に長居しても仕方ないので早めに下山するという。

  

 食事後写真を撮ったりして集合場所に行ったが、何処を探しても我々のグループの誰も見当たらない。これは既に下山にかかったのだろうと急いで我々も下山道を追いかけるがそれらしき仲間が見当たらない。下山道路は瓦礫で歩きやすくもあるが、勾配がかなり急なところもあるのでスピードが出すぎて危険だ。注意しながら下る。かなりのグループが下っているのでこれらを追い抜き下るが我がグループが見当たらない。先ずは本八合目の山小屋上江戸屋に行けば、二名の落伍者を連れ帰るためガイドが立ち寄るはずだと思いつき上江戸屋に到着。ところが山小屋ではまだガイドは立ち寄っていないという、落伍者二人もベンチに座り待っている。ということは、我々がグループより先に下りてきたことになり、頂上ではガイドが我々二名行方不明で探しているのではないだろうか。ここから再度頂上に戻ることも出来ないし、彼らが来るまでとにかく待とうと崖っぷちに作られたベンチに座り、雨の上がった下界を見るがモヤがかかり遠くは見えない。雨が上がったといっても雨具を脱げない何時また振り出すか分からないし、下山中にあわててき装着するのも大変だしと、暑いが着たまま待つこと30分。ガイドが現れたのでホッとする。ここで待っていた経緯を話すと、頂上で点呼をとった時全員確認したのでお鉢(噴火口)をのぞきに行ったとのこと。ほんの数分の間に行き違いになったようだが、点呼で全員確認したというのはどういうこと、いい加減ではないだろうか。とにかく合流できて良かった。

 ここで35名全員そろって下山開始、ガイドが“下りは真っ直ぐ下りるより斜めに下りたほうが楽ですよ”というので真似をしてみると、Fさんも“スキーのボウゲンのようにですね”といって急に斜めに走り出したのがよくなかった。途端にバランスを崩して、たたらを踏んだかのように前のめりになり、かなりのスピードで体勢を立て直すこともできずそのまま斜面の瓦礫の上にダダッツと音を立てて転がった。ガイドも私も後ろで起きた事に、怪我がなければいいがと思うだけでどうすることも出来なかった。彼は右膝をついたのか、雨具、ズボン、ズボン下と三枚通して穴が開いたが、膝に巻いていた100円ショップの膝サポーターのおかげで出血はないらしく胸をなでおろす。登りに比べて下りは楽ということでないにしても、どうしても下山は気が緩むので緊張を持続しなくては事故がおきるものだ。まあ怪我がなくてよかったといいながらも、本人はかなりショックであつたようだ。
 10分位下り下江戸屋の近くに来た。ここで下山道が二つに分かれている、右は静岡方面へ、左はスバルライン五合目(河口湖)方面へとなるので最後の点呼をとり左の下山道をくだる。ここからは一本道で五合目まで迷わずにいけるので、各自それぞれのペースで下ることになり、今まで常に先頭を歩いていたガイドは一番最後から下りることになった。
 福田さんのアクシデントがこの後更なるアクシデントを呼ぶとは、この時点では想像すら出来なかった。グループはバラバラになり、先を急ぐ若者は早足で急斜面を下っていくし、女性たちはのんびりと下りていく。ガイドは最後尾をゆっくりと落伍者がないかを確認しながら下りてくる。沢山のグループが同じようにして下山しているので、幅3?4メートルあるだろう下山道でも狭い感じがする。雨が一時強くなり、慌てて雨具を着る人たちがいるが、止んではまた降るを繰り返しているから暑くても着たままのほうが面倒がなくていいようだ。Fさんは慎重に歩を進めていたが、分岐点から50mくらい歩いたところで両膝に力が入らないと云い出し、数歩歩いて突然尻餅をついた。やっと立ち上がり数歩でまた尻から落ちる。疲れがきているのだろうから、道路脇の岩に腰をおろし少し休んだが、本人は自分の体が思うに任せず、盛んに情けない、情けないと悔やむ姿は哀れ也、この登山のために毎日早朝2時間も歩く練習を続けていただけに、悔しさと腹立たしさは並のものではないだろう。雨の中、じっと休んでいても仕方ないので、Fさんを奮い立たせ立ち上がろうとさせるが、立ち上がれない。俗に云う腰が抜けたというのはこのことかと思いながら、立ち上がらなければ歩けない、歩けなければ先へ進まない。帰途のバスは五合目を12時に出る、まだ4時間もあるが動けない人をどうしたらいいのかと気が急くばかり。ぞろぞろと脇を通り下山していく人達の同情的な視線や好奇な視線に晒される、中には“八十歳のメタボが腰抜かしたんだ”と笑いあって下りていく人もいる。
 暫くすると上から我々のガイドが下りて来るのが見えたので手を振ると気付いて来てくれた。状態を話すが、兎に角、Fさんを立ち上がらせて両側から支えて下りましょうというので、Fさんのリックをガイドが背負い、両側からFさんの脇の下に手を入れて持ち上げるが、足に力が入らないので歩けない。引きずるようにして10m位下がり、一息入れてまた引きずるようにして下がる。時間ばかりかかりさっぱり進まないので、ガイドは膝にテープを巻けば足がしっかりするかも知れないというものの、雨の中道路脇でズボンを脱ぐこともできないので、仕方なくズボンの上からテープを巻き、サロンパスをスプレイをしたがズボンの上からでは効き目がある筈が無い。ガイドが云うには、救助には馬を使うしかないが7合目の公衆トイレのところまでなら馬が来てくれる、それより上には来ないという。馬の費用は3万円かかるそうだが、Fさんはもう馬に頼るしかない、お金の問題ではないからと馬を要請することになった。しかし、馬に乗れる場所まで時間にして更に一時間半くらいを下らなければならないのだ。再びFさんを引きずるようにして下るがこれも限界となる。本人もガイドも私も体力を消耗してきて大汗かいて呼吸も激しくなる。
 突然、ガイドがこんなことしていても時間ばかりかかるから、私がFさんを背負って下りますと云うので驚いた。Fさんは体重75kg、ガイドは40歳前後のどちらかというとキャシャな感じの男。ガイドは、自分のリックサックを胸の前に回し、Fさんを背負って斜面を小走りに下り出した。下山中の人達は背負って小走りに下るガイドを見てあっけにとられたような顔をして見送っている。実際のところ、75kgを背負って下るガイドには驚きだ。ガイドは10m位下っては小休止して、またFさんを背負って下っていく。私は自分のリックを背中にFさんのリックサックを胸の前にして雨の中をとぼとぼと下りた。斜面を下るときはどうしても重量が前にかかるので足が靴の中で前に滑り、足の親指が靴の中で行き場が無く痛くて痛くて、そのうちに自分も歩けなくなるのではないだろうかと不安になった。
 皆がへとへとになってやっと七合目公衆トイレの場所に到着、口も聞けないほどだった。ガイドが、Fさんは馬が来たら乗せて行くから、私に一人で五合目を目指して早く下るようにと云う。休んでいる時間も惜しいので、すみません、迷惑かけましたというFさんの声を背にして一人で下りはじめる。余分なリックは減ったものの、かなり体力を消耗してしまったので、下りの傾斜がゆるくなったとはいえ長い六合目への下りは辛かった。一部急な岩場を下りる時には足ががくがくしてきた、緊張感をもって慎重にと自分に言い聞かせ一歩一歩と惨めな下りをしてる横を、二人の若い外人が飛ぶように下りていった。歳の差を感じた瞬間でもあった。このあたりではこれから頂上を目指す人達とすれ違うところで、昨日は自分もやる気満々で通ったところ、今日は意気消沈して一人でとぼとぼと歩く。Fさんは馬の背中で無事に下ってきているのだろうか、馬から落ちて新たなアクシデントがなければいいがとか、バス出発に間に合うだろうかなどと心配しながら、重い足を引き摺る。やがて遠くに五合目の建物が見えてきたが、そこまでは若干の登り勾配となり、最後に来てこれが辛い辛い道のりとなる。馬に乗った福田さんが後ろから来て抜いて行ったのが分からなかった、下る人、登る人が大勢ぞろぞろと歩いているので、Fさんも分からなかっただろう。前を行く馬上のFさんの無事な後ろ姿をみて安心したが、声を掛ける元気もなく馬との距離はどんどん開きFさんは行ってしまった。五合目まで20分の標識が恨めしい、まだ20分も歩かねば五合目広場に到着しないのか・・乾杯のビールを飲む元気もないなぁと、トボトボとゴールを目指す。

 富士山登頂の目的は達し、高山病対策も体験できた。頂上までは大した問題もなく到着できたが、下山でのハプニングが悔いを残した。ガイドのお陰で帰途のバスに間に合い帰ることができたが、もし二人だけで登山していたならと思うと恐ろしくなる。ガイドは週2回富士山登頂を繰り返しているようで、流石足腰が強靭になるわけだと感心する。ガイドに感謝。登山からもう半月が過ぎた。あの時の辛さも薄らぎ、晴天の富士山にもう一度登頂してやろうとの意欲が湧いてきている。今度は登りも下りも満足のいく富士登山をして、最高のビールを飲みたいものだ。   (終)                                

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