マーク「後悔しない富士登山」トップページへ マーク体験記総合ページへ戻る

皆様より寄せらせた 栄光の体験記。役にたつお話・・・
 2008年版(2)

1--10  11--20 21-


■11 富士登山から学ぶこと

 広島から早朝一番の飛行機で今回二泊三日(7/31-8/2)お鉢めぐりの、富士登山に参加し連続四回となった。

 富士登山は回数とともに登山の苦しさ喜びの味が出てくることが判った。今年数え年70歳 頂上にある頂上浅間大社奥宮で御祓いを受け、お神酒と記念品を頂いた。この感激は生涯の記念として心に大きく残り家庭の安全と健康を戴いた。当初五回連続を目標に富士登山に取り組んだ。時の流れの早さは驚くばかりだ。
 今回登山して、自分自身の事で一番感じたことは体力の低下である。月二回山へその他の日は一万歩の歩行その他あいた土日は、往復二時間を掛け広島市内にある黄金山220mに登りマンションの階段12階まで、毎朝犬の散歩のあと犬を抱えて登り、ひざの関節強化もしている。また屈伸運動を毎日早朝散歩の合間に120回している。このような事を続けても、空気の薄い富士山では対応はしにくい。しかしこのような運動を続けているので登ることには気にならないが、ツァーで行くと個人差が大きくリズムがなかなか掴めない。
 今回当日は富士吉田の浅間神社で安全祈願し、杉と桧の巨木を眺め記念写真をいつものように撮って五合目に向かった。五合目に着いて最初に目に飛び込んだのは、富士山が悠然として八面玲瓏の姿で我々を迎えてくれた。昼食も含め二時間程度時間をとり身体を慣らし14時41分に全員で大声で気合を発し出発した。一時間位経過すると大粒の雨がポツリポツリと降って来た。歩行を止め全員が雨合羽を着た。要領よく着込む人、着込みに時間がかかる人咄嗟の対応は登る前に家で練習をして来て欲しい。
 三時間後の18時今晩の山小屋 鎌岩館に到着
 着て来た雨合羽の処理を即完了する人時間のかかる人これまた対応が色々であった。
 寝床が決められ荷物を棚に収め、夕食頂き明日の出発準備を終え寝床に入った。しかし何時までも何をしているのか判らないがリュックの中をいじくりまわしビニール袋のガサガサ音が気になった。ツァーだから文句を言う人はいないが個人で登ってこんなことをしたら、注意をされるのは当たり前 また夜中に起きてトイレへ行く人もいるが足音音には敏感になり対応してもらいたいものだ。翌朝は雲で空は見えずご来光は見えず残念であったが登るにつれ天気は回復傾向にあり、八合目太子館に着いた時点では上は天気になったが下界は厚い雲におわれ何も見ることは出来なかった大子館は今晩の宿、荷物は最小限として頂上用として準備した軽薄短小のリュックを出し背負って頂上を目指した。軽くて楽々登る事ができた。その中に小分けした菓子類を入れておいたが食べずそのまま持ち帰った。来年の反省事項とした。七時四十一分太子館出発頂上を目指した。途中高山病を発症させる人も出たが、すぐに報告連絡をガイドにしたので難なく対応し太子館まで下山した。なんと言っても異状が出たら、即ガイドさんや責任者に報告する事が一番大切であるし、他の客に迷惑をかけず最小限で済む。同情心は禁物を学んだ。途中休憩しながら山頂に着いた。

 十一時三十九分着。全員で万歳三唱し昼食をとった。いつもの事ながらトン汁は最高だ。頼んで元気な声で受け運んでくれる。山で働く人から元気を貰いお鉢めぐりに出発したが、我々が山で働く人たちに何の元気もお返し していないような気持ちになった。本当にここから謝意を申しあげたい。これが天候不順な日であったら迷惑をかけるばかりだろうと思った。
 お鉢めぐりの途中郵便局に立ち寄り、友達に暑中見舞いを送った。遠くにいる小学校時代の友達が大半だ。その返事が楽しみだ。そして数え年70歳の御祓いを受け頂上へ向かった。
頂上3776m最高峰の碑の前で全員で記念写真を撮って、達成の喜びを全員で唱和し下山した。ストックも使わずここまで到達出来たのも日頃の訓練の賜物と思いつつ今晩の宿太子館に下山した。
下山すると全員に一番大切な水が配られ顔などを洗ってくださいと渡された。毎年の事であるがこのような気持ちに感謝したい。夜はカレーライスと鯖の焼き物と煮物等のおかずが出た。まず量は少量であるが疲れていて食べれない。早々に引き上げ寝袋に入って寝てしまった。
 明朝目が覚めると、空は青空目線には少量の雲 空は薄明かり 点呼を取ってご来光場所まで登った。少し待つと陽が昇り始めた。シャツターを切る 写真は数多く撮った。太陽の光は富士山の斜面を照らし真っ赤に染まった。一瞬感激した
 ご来光を見て下山 帰り道ナナカマドが紅葉していたり オンダテが近くで見えたり イワツメクサを見えたり クルマユリが花を綺麗に咲かしていたり ヤマホタルブクロが淡い紫色で咲いていたり数多くの高山植物を見ることが出来た。

 本当に楽しい富士登山であった。写真は一眼レフとデジカメで約500枚程度撮影した。
家に帰り八月三日(日)写真の整理をしNHK広島で一週間に一度月曜日夕方六時十分から放送しているお好みワイドのフォトクラブに投稿した。その結果 採用の電話が八月四日(月)かかってきた。電話インタビューを受け放送してもらいました。結果採用され放送された。内容は ご来光の写真 太陽の光で真っ赤に染まった斜面 真っ赤に染まった下山道を降りる人たちの方々の顔 鼻息荒く登ってくる馬の姿 お客を乗せて登っていく馬 花色の綺麗なクルマユリそして感想文を書いて送付した。

 こうして今年の富士登山は、いつものように完了し写真は全てCDに収め整理が出来た。
 最後に今年の登山者の顔ぶれで、小中学生と外国人の登山客の多い事には驚いた。
 来年は五回目の富士登山に挑戦していくつもりですが、今年の登山から得た教訓を生かすように日頃練習したい。これからの山登りの中で、問題点は学んで行きたい。
 広島も明日は八月六日平和の日を迎える。

■12 リベンジ

2006年 連れが高山病になり 8合目で 涙の断念。
2007年 台風接近のため 断念。
そして2008年 やっと登頂できました。

日程は8月2日 弾丸日帰り登山です。
河口湖口を目指し スバルラインに向かうも 有料道路入り口で 上に行っても満車状態との説明を受ける。でも 前の車も 行ったので 私達も 上へと向かう。
結局 5合目の駐車場より2km位下の駐車場へ停め 徒歩で約40分 河口湖口へ。
少し 体を慣らして・・といっても 早くも2km位は 歩いていたので 30分くらい 買い物やトイレで時間を潰し 4時50分 登山開始。
連れの2人が 初めてだったため ゆっくりめに1時間かけて 6合目へ。
しかし すでに2人はグロッキー状態。ここで これでは 先には進めそうになかったので 来た道を帰ればいいだけの 6合目で 2人を下山させた。
そこからは 1人になったけど 周りにたくさん人がいたし 自分のペースでひたすら登った。
途中の時間は メモってなかったので 途中の到着時刻は 分からないけれど 頂上到着は11時45分くらい。
頂上は日差しも強く 下で待たせるのも悪いので(富士急ハイランドに行ってたらしいが) 早々に下山。
12時半頃 下山を開始し 15時半5合目に到着。

ざっと 行程を書きました。

感想は・・・

河口湖口しか 分かりませんが 女1人でも登れます。ただ 写真を他人に頼んだり 途中 トイレに行くにも 荷物を持って・・っていうのが不便でした。
あと 前回は天気の関係もあったのでしょうか 感じなかったのですが 下山での砂埃が半端じゃなかったです。タオルをマスク代わりに巻いてましたが 口も鼻の中も 砂だらけでした。

あと 靴は重要だと思いました。
前回は 安めのトレッキングシューズ しかも使い込んだソールもスリ減り気味の物をはいて行きました。ま 普通に筋肉痛とか出ましたが それは仕方ないこと。
でも 今回は 少しいい靴をはいていったら 全然 疲れ方が違います。筋肉痛もそれほど出なく これは 大きな差でした。
でも 本格的に登山を始めるわけでもない人には 高価な買い物なので 結局 気力ですね。
普通にスニーカーで登ってる人もいますから。

私は 普段から 体をジムで鍛えているつもりです。ちなみに39歳。
下山した2人は 30歳 28歳で 体力は普通にあると思うのですが・・・
なめてたら 登れません。
全く 普段 運動してない人は 少しくらい 体力をつけてから行った方がいいです。
高山病で下山は ホント 悔しさしか残りませんよっっ

TOPへ

■13  初めての単独登山(33才・女性)

貴サイトを拝見し初めての富士登山を決意、登頂させていただいて以来毎年、おかげさまで今年で5回目の登山となりました。

今年は一緒に行くはずだった人が急に予定が合わなくなり、兼ねてからの目標であった単独登山で登頂を目指すことにしました。
日程は7月20・21日の連休。山小屋も混雑しているだろうと思い、初めての寝ずの登山を計画しました。
家でたっぷりの睡眠。15時すぎに家を出、16:15発の高速バスで新宿?五合目へ。

19:15 五合目到着 体を慣らし、軽食をとる。着替え
20:00 登山開始 既に登山道は真っ暗。当然ですが先ばかりか足元も見えない状態で、早速ライト着用となりました。やや不安に

20:40 やや早めの六合目到着 やや人が多くなってくる
21:28 七合目到着 順調。ストックを使うタイミングを誤り、膝が痛みだす。
22:50 八合目到着 やや寒くなってくる。岩場が膝にこたえる。
ここからは登山道も渋滞のため、休み休み。休憩も増え、ペースがかなり落ちました。

03:30 九合目の頂上間近 やや疲れ、岩場の影で休憩。寒さもあり、睡魔が…。しばしの睡眠をとりました。
04:20 起きて、ご来光を待つ

やっとのご来光はやはりとても素敵なものでした。

05:20 ご来光を十分に拝んでから、登頂。ラーメンをいただく。また、神社で引いた御神籤が見透かされたような内容だったので驚きました。もしかしてこの御言葉をいただく為に毎年登っているのでは?と思うくらい

06:30 自分の膝に相談するも、あまりの天候の良さにお鉢めぐりを決行。

単独で行ったはずがお鉢めぐり開始直後に出会った父親と同世代のおじさんと意気投合。
一緒にお鉢めぐりをすることに。こうした出会いも良いものですね。
膝が痛く、おじさんには迷惑をかけてしまいましたが、優しく気を遣っていただき、無事、初めて最高峰まで行き写真を撮ることまでできました。

おじさんありがとう!

08:00 お鉢めぐり終了。おじさんと別れ、単独下山へ

膝と足の親指の痛みが襲う中、ひたすらに下山。気持ちはあるのに、体がついてきませんでした。
しかも、晴天すぎたため、砂埃がすごかったです。全身砂埃だらけ。鼻の穴、目、口に砂が入り込む。マスクは必需品ですね。できればサングラスも要りますね。

様々な辛さに耐え、体を引きずって、五合目についたのは12時でした。

13時のバスで帰宅。渋滞もあり17時に帰宅。


今まで以上に疲労しました。体の痛みも多く、よく下山して戻ってこれたなと思うくらいサバイバル感がありました。

だけどそれ以上の収穫。充実感がありました。
また今すぐにでも登りたいくらいです。一人での登山にもこれから何度かチャレンジしたいです。

TOPへ

■14 お盆の8/15(金)-16(土)に河口湖口より登山。御来光ばっちりでした!

皆様の体験記がとっても参考になったので、今後登られる方の参考になればと投稿させていただきます。
私は今までまったく運動の経験なし、日ごろも運動とは無縁のOLです。一緒にいった彼は
富士登山二回目、子供の頃からサッカーをやっていたので体力は問題なしですが、最近ややお腹
のあたりが気になりだした感じです。
お盆の時期は混むとは聞いていましたが8/15しか休めなかったので、8/15から登り始め、8,5合目の御来光館で
一泊、8/16に御来光を拝み、お鉢巡りをして下山し、河口湖のペンションに泊まって帰るという、
金から日にかけての日程でした。
私達は東京在住ですが、もしバスツアーかマイカー(もしくは個人で電車などで行く個人手配か)で
迷っている方がいらっしゃったら私はマイカーをオススメします。なぜなら、途中ツアーのグループとも一緒になりましたが
結構歩く速度が早いと思います。ツアーは遅い人に合わせるといいますが、それでも私はぬかされましたし、何といっても
自分が休みたいと思っても勝手に休めない点です。私達はツアーのグループが1回休むところを3?4回くらい、短くたくさん休憩をとりました。
あと、ツアーの人たちはせっかく登っても30-60分くらいで下山しなくてはならないみたいです。これではお鉢巡りも出来ないと思いました。
マイカー規制の時期でしたが、思ったよりぜんぜん駐車場は空いていましたし、バスもすぐ来ました。
帰りなんかはもっとバスが多くじゃんじゃん出ていたのでマイカー規制でも別に不便は感じませんでした。
大まかな時間ですが、
8/15 11:00五合目着、お昼を食べたりして1時間ほど体を慣らして12:00出発。
とにかく高山病にならないよう大きく息を吸いながら(意識的にフゥーってはきながら歩くよう心がけました)そして無理をせず、
とにかくゆっくり、ゆっくり登りました。途中途中で、大混雑のところもありましたが、それは
ツアーの人たちとぶつかってしまっただけで、少し待てば人波が途切れる感じでした。ときどきはツアーの人たちと一緒に歩いてガイドさんのアドバイスを
聞かせてもらいました。河口湖口は山小屋がたくさんあるのでトイレ待ちはぜんぜん気になりませんでした。あせって1軒目でいかなくても大丈夫です。
紙もちゃんとありました。私は杖に焼印を押してもらいながら登りました。だんだんたまっていくとうれしくってかなりモチベーションがあがるので、オススメです。
途中、影富士と満月という貴重な景色を見ることが出来ました。
19:00に8,5合目の御来光館に到着。19:00というとすでに暗くなり始めていたのでちょっとあせりました。もっと下の方の山小屋にしておけばよかったとも
登っていえる途中では思いましたが、結局翌朝登らないといけないわけで・・・どこの山小屋にするかは悩ましいですね。8合目あたりから急に寒くなったので
長袖シャツとフリースを着ました。これでだいぶ荷物が軽くなります。それでも8合目から8,5合目ってかなりきついので
私は最後、彼に荷物を持ってもらっちゃいました。それで何とか8,5合目にたどり着けたって感じでした。
19:30カレーの晩御飯。20:30就寝。私は山小屋ではまったく眠れなかったし(でも耳栓は持っていくべきです、絶対に。100均ので十分ですから)
横になって目をつぶっていると呼吸が浅くなるせいか頭が重い感じがしてなんとなく微熱があるような感じがしました。
私は普段から偏頭痛もちなので、薬を持参していたので一応飲んでみました。薬が効いたかどうかはまったく?ですが気休め程度にはなしました。
1:15起床。なんとお腹をこわしてしまったので正露丸を飲んで2:00出発。途中ガイドさんがこの時間ならだいぶ余裕をもってつけそうですからといっているのが
聞こえましたが、上に近づくにつれて大混雑で、まったく進まなくなり、今度はガイドさんがこの時間では微妙になってきましたと変わっていました。
9合目は岩場で、ものごい人なのに我先にというのがすごくて、もし滑ったりしたら将棋倒しになってしまい、大変なことになるだろうなと思いましたし、
あまりにもすごい人・人・人なのでちょっとひいてみるとなんかの宗教みたいでちょっと怖い感じがしちゃいました(自分もそこにいるんですけどね)。
彼はこんなに富士山に乗りきれるんだろうかって心配していました(笑)
4:35登頂。ゆっくり座って御来光を拝むことができました。疲れもふっとぶ最高の御来光でした。山頂はとっても寒いので背中とお腹にホカロンが役に立ちました。
5:15お鉢巡りスタート。時計回りに回りました。山頂郵便局で登山証明を買い、彼とお互いに書きあって投函。800円もしましたがカップラーメンを食べて休憩しました
(高いけど800円出す価値ありですよ)。山頂から父親に電話しました。今富士山の頂上からって言ったらものすごくびっくりしてました。
剣が峰で記念写真を撮り、9:30に下山開始。私は下山途中もしばらく頭が重たい感じが続き、休むとよくなるんだけどといった感じでした。
下山は想像以上に足に来ました。下山も彼に荷物をもってもらい、ゆっくりゆっくり降りてきました。5合目に15:30に到着しました。
・私がもっていってよかったものは、
フリスク(2つ)スーッとするのと意識して大きく息を吸うのに役立ちます、ウィダーインゼリー2つ、都こんぶ(超オススメです)、キャラメル、ホカロン2つ、軍手、タオルマフラー(
タオルより軽し、特に女の子にはおすすめ)、飲みなれた薬
・もっていったけどそんなに量はいらないものは
飴(私は塩飴とレモン飴を持っていきましたがレモン飴の方がおいしく感じた。一人5から10粒もあればいいと思う)、酸素缶(おまじないとしてはもっていってよかったと思う。
彼はまったく使わなかったので私専用)、チョコ(食べたけど1-2個しか食べなかった。なくてもよかったかも)
・いらなかったと思ったもの
アミノバイタルプロ(持っていったから飲んだけど、効果不明)、食べる酸素(あるガイドさんによると1週間くらい前から食べておかないと効果ないとのこと)です。
必須のお水の量ですが多いに越したことはないのですが一人につき500ML×2本(特に私のように体力のない女の子はこれが限界だと思います)で足りなくなったら買いましょう。
私達は頂上で2本買いましたが、それでも足りなかったくらいで最後はちびちび飲みながらぎりぎり5合目に到着したって感じでした。
とにかく体力のない私が登れたのは時間をかけたことだと思います。私達は天候に恵まれ、登りは曇りだったので汗をかいても風がふいて気持ちいい感じで登ることができ、暑さで体力が
奪われるということはなかったのですが、登りトータル9時間半、お鉢巡り4時間15分、下り6時間かかりました。
あと一緒に登ってくれた彼にとても感謝しています。彼と一緒だったから無事登りきることが出来たんだと思います。皆さんも大切な人、大切な仲間と一緒にがんばってください。
最後に、これだけいっているのに、ペットボトルや明らかに投機されたと思われるゴミの袋が落ちていて、とても残念な気持ちになりました。こういう人は登る資格ないですよね。

TOPへ

■15 8月2日 富士山に行ってきました。35歳。
6月頃から丹沢に行くようになって
夏は富士山に登ろうと思っていました。
ちなみに、富士山は初めてです。

8/2(土)神奈川某所から東海道線、御殿場線を乗継。御殿場駅発須走口行きバス。
5合目付近の路上駐車が見苦しい。路上駐車に邪魔されて8:40くらいに5合目に着。

【8:45】須走口新五合目
途中の細かい記録は無いのですが3000mくらいからあたまがぼーっとしてきたのでめちゃくちゃゆっくり歩きました。単独なのでとにかく安全を考えていました。

【13:15】頂上着。
ご飯を食べて少ししたら頭が痛くなってきてすぐに下山。お鉢めぐりできず撤退です。
8合目くらいまで下ると頭痛も無くなり安心して暫く休憩。

【16:00】須走口新五合目に到着。

今回登ってみて感じたこと

1.7月?8月のシーズン中は完全にマイカー規制をしたほうがいい。

2.8合目だったと思いますが地面に倒れこんで寝ている人が多数。遭難者予備軍です。高山病になっちゃいますよ。ていうか普通の山だったら安否を気遣って声掛けてしまいます。

3.頂上直下で息も絶え絶えになっている人。余力がない状態で山頂につくのは登頂したことにはなりません。

私は今年の反省から来年は山小屋泊で行こうと思っています。
できれば1週間前に5合目まで来て高度順化だけするのもいいかと思っています。
ご来光を山小屋で見てから山頂にいってお鉢めぐり。
富士山は体力だけではなく高度にも気をつけて登らないと駄目だということを感じました。
来年はちゃんとお鉢めぐりして登頂したいと思います。

TOPへ

■16 女三十路の記念に一人で登山

8/16 19時 富士宮登山口より登山
翌4時    山頂到着
同6時    山頂出発
同10時   富士宮5合目到着

景色がめっちゃキレイでした。
登り始めた5合目から眼下に雲海。
雲海の中には稲妻(この日は雷注意報が発令されてました)。
雲海の狭間から富士市や沼津あたりの夜景。
どこかの町で行われる花火大会が小さく見えました。
空には満月(実際は十六夜)。雲海が月光に照らされて夜光雲。
おかげで持参したヘッドライトをほとんど使わずとも足元が見えました。

山頂付近は、霧がすごかったですが、夜明けと同時に霧が晴れました。
上下に分かれた雲海の合間から日が昇りました。かなり感動です。

そして、下山の8合目までは青空の下に広がる雲海を眺めながら下山。

そこから先、暑くなるかなと思ったら、
雲海が霧となり、そのの中に吸い込まれました。

★これから夜間に登る人のためのアドバイス
1.登山用スパッツ(靴の中に砂利が入るのを防止するカバー)が必要。
  砂よけ、雨よけ、冷気よけ、けが防止、あらゆる意味で有効。
2.花粉症用などのゴーグルが必要。
  砂嵐が激しいです。コンタクトレンズ使用者には特に必要です。
3.軍手は必要。
  手を使う場面は多いです。ロープや岩など。寒さ対策にも有効。
4.防寒具は必要。
  スノボウェアで登る人を見ました。正しいと思いました。
  山頂は真冬と同じです。
5.山頂付近は酸素が薄いので頭痛や動悸がします。
  酸素ボンベはなくても、症状が出たら落ち着くまで(数分)休めば治ります。
  無理をしたら悪化するそうです。こまめに休憩しましょ。
6.小銭は必要。
  100円玉がないとトイレに入れません。

あとは、思い出といえば、9合目で食べた1000円の天ぷらうどん。
温かさはプライスレスです。

■17 81歳男性の単独登山

2008年8月4,5日 富士宮口 

 私は奈良盆地在住で63歳頃まで日本国内の2900m以上の山のピークハントをしていましたが目的を達成した後は脚力も衰え地元奈良の山を単独で又は以前勤めていた会社のOBで組織する山歩きの会のメンバーと歩いていました。
 富士山は昭和46年8月会社の同僚と富士宮口を登り河口湖側へ下りたのが最初でその後はご無沙汰していました。二回目は平成13年74歳(数え年)の時富士宮新五合から登り浅間大社奥宮に参りその日に下山しました。私は山小屋泊まりが嫌いで無理して日帰りにしました。三回目は昨年富士宮新五合から登り八合目から御殿場口登山道へ抜け赤岩八号館にザックを預け最低必要な物のみもって浅間大社奥宮を往復して赤岩八号館に泊まり翌日下山しました。四回目の今年も富士宮新五合から登り赤岩八号館に泊まり翌日剣が峰まで登り同じ道を下りました。
 富士山を登るについての情報は各種雑誌、インターネットのウエブサイトから得ましたが、特に”あっぱれ!富士山”には随分お世話になり感謝しております。

 体力の衰えた老人が富士山に登るためには平生のトレーニングの必要なことは勿論ですがその他次のような方策を実行することが良いと思っています。尚私はトレーニングとして毎月3〜4回正味登高値300〜800mの山行きをしています。
1.出発点の標高が高いところから登る。又剣が峰に近いところが良い。(富士宮口が最適)
2.登山者の出来るだけ少ない日、道、詰め込まれない小屋のある登山道を選ぶ。
3.前日はホテルで体を休め十分な睡眠をとる。
4.出来るだけ岩場、階段の少ない登山道を選ぶ。
5.ザックは極力軽くし、食料、飲み物等小屋で販売しているものは予備を持たない。
6.朝早く行動開始し、午後2時頃までに小屋へ入る。天気が安定して雷が来ないと思われるような日は計画を変更することもある。
7.同行者を気にせず自分のペースで登る、又天気予報を見定め良いと思う日に自分だけの都合で即実行するため単独行が良い。この天気予報でも”あっぱれ!富士山”の”山頂の天気予報”を数え切れないほど見ました。
8.公募ツアーに参加することは絶対不可。自分より若い平均的体力の人に合わせた行動に付いていけない。
 私は須走口、吉田口から登ってないので上記4.の条件に付いてどの道が最適か評価できませんが、いろいろのガイド記事から判断したうえ何よりも上記条件の1.および2.を優先して又奈良から交通の便が良い富士宮口からとし、前日富士駅又は富士宮駅前ホテルに泊まり朝1番のバスに乗り富士宮口を八合目まで登り御殿場口登山道へトラバースして赤岩八号館に泊まり翌日頂上に立つコースを取りました。
 今年のコースタイムは次のようです。ザック重量は家出発時約5Kg、行動前日仕入れたポット1個と菓子パン、昼食はバナナ2本分のエネルギーと書いたチューブ入りゼリー1個だけで計約5.5Kgでした。
 富士宮新五合9:10発?新六合9:37着、9:40発?新七合10:50着、11:00発?元祖七合12:05着、12:15発?八合13:15着、13:30発?赤岩八合館14:10着  翌日赤岩八合館5:50発?富士宮口頂上8:10着、休んだり写真を撮ったりで剣が峰8:55着、9:05発?富士宮口頂上9:20着神社に参拝、記帳、休憩後富士宮口頂上9:45発?赤岩八合館10:40着、10:45発、ここからの下りで大失敗をして富士宮口八合への分岐を見過ごし行き過ぎて戻り、更にブルドーダー道を富士宮口九合まで登ってしまって下ったため富士宮口新五合へ着いたのが13:50分になってしまいました。昨日八合目からブルドーダー道をそれほど長く下った覚えが無いと思いながら何を間違ったのか着いた小屋は九合目でした。昨年同じコースを通り失敗なく下ったのに今年は思わぬ失敗をしてしまいました。
 当初御殿場口登山道を下り宝永火口を経て富士宮新五合へ下ろうかと思ったものの火口底からの登りを敬遠して止めたのにそれ以上の登りをしてしまいました。
 8/4日の天気は新五合へ着いたときは山頂を見渡せる良い天気でしたが、小屋へ入り寝転んでいると4時20分頃大きな雷の音でびっくりして見ると雨が降っていました。翌8/5日朝5:50出発時は傘がなくてもいけそうな程度の雨でしたが皆さん雨着を着ておられるので自分も着て出かけましたが少し登ると止んだので脱ぎました。それ以後雨着不要でしたが六合目くらい迄下ったときからから傘がいるくらい降り出しました。
 7年前は富士宮口九合五勺から上では本当に、5、6歩歩いては休むと言うように苦しかったが今年は小屋で泊まっている上、御殿場口登山道は岩場や階段が富士宮口登山道より少なく(?)、ザックも少し軽かったのかそれほどの苦しみは無く登りきりました。酸素は折角持ってきたので重量を少しでも減らそうと思い使ってみましたが楽になった気はせず食べる酸素も持っており少し食べましたが変わった気がしなかったのは体がそれらを必要とする状態でなっかたからかも知りません。
 富士登山は今年で打ち止めにするつもりですが来年気が変わって登ることになれば、富士宮新五合から宝永火口を通り御殿場口登山道を登るかもしれません。
 
「最後に昨年と今年泊まった赤岩八合館ですが、いずれも平日で宿泊者が比較的少なく余裕があったためか一畳に一人でゆったり寝ることができ、食事、サービスも良く満足できましたが、ただ一つ上の掛け布団の重いのには閉口しました。その上一畳に二人寝るときのことを考えてか掛け布団が連続しており暑くても体を布団の外に出せないので往生しました。(私は下着だけで寝ていました)どこかの山小屋のように寝袋をあてがわれたら軽いし自由に温度調節ができるので有難いと思います。またこの小屋は自分の靴は宿泊申し込みのとき渡されるビニール袋に入れ指定されたスペースに持ち込むことになっていますが、ザックと靴を枕元に置くと頭の置き場がなくなります。棚が有ればよいがそれがない、しかし上にむき出しの貫があるのでロープを使って吊り下げると空間が確保できます。私はどこの山へ行くときも短いロープを持っていくのでそれを活用しました。それと枕が無いので昨年は袋に入れた雨着で代用しましたが使い心地が悪かったので今年は空気枕をもって行きました。」

■18 親子3世代で初登頂大成功でした

8月17日(日)、18日(月)の二日間で登って来ました。
結論からいうと、登頂は天候に恵まれ大成功でとても快適でした。

メンバーは60代の義父母夫婦と私(38歳男性)と小2長男(7歳)の4名です。
全員初挑戦で、登山暦も低山ハイキングのみです。
長男の特技はピアノ、水泳、絵が上手でそんなに体力のある子ではありません。
この子の健康のために昨年から低山歩きを始めました。
私は趣味が機械や楽器いじりということもあって、インドア派です。
じいさん、ばあさんはとても健康で運動力があり、体力的に全く心配なさそうです。
正月に私と長男で今年の目標を「富士山登頂」に定めたのを聞いて、義父母夫婦が参加合意表明してきました。

ほんとうは妻も一緒に行きたがっていましたが、次男がまだ2歳なので一緒にお留守番です。
富士急ハイランド駅でお別れして次男の好きなトーマスランドへ行ってもらうことにしました。
次男は電車大好きなので、スーパーあずさやフジサン急行にのれて大喜びしてました。
はやく家族みんなでいけるといいのにな。

【アプローチ】 行きのスーパーあずざは指定券を事前に予約
行き:国分寺駅(中央線)7:00⇒7:15立川(特急スーパーあずさ1号)7:21⇒7:55大月(富士急行フジサン特急91号)8:12⇒8:55河口湖駅(バス)9:40⇒10:35五合目
帰り:五合目(バス増発便)14:20⇒15:05河口湖(富士急行フジサン特急12号)15:10⇒15:55大月(中央本線立川行)16:20⇒17:02高尾(中央線)17:11⇒国分寺

【コースタイム】 富士吉田口 山荘1泊
<1日目>10:35?五号目レストランで昼食登山口11:30⇒15:00八号下「東洋館」
<2日目>5:00?東洋館前でご来光5:30⇒9:30山頂お鉢周り9:30⇒10:30下山開始10:30⇒14:00五合目
<所要時>のぼり:6時間半 くだり:3時間半

【天候】 晴れ時々曇り時々雨 山荘にいるとき雨が降ってましたが、登山中、雨具は出番がありませんでした。
<1日目>曇りで風が涼しくて気持ちのよい日でした。
夜は時折の降雨があったようです。強風の音も聞こえていました。
<2日>穏やかな晴れの日かと思いきや、雲の上だけ快晴だったようです。日差しが強烈で、日焼け止めと帽子、サングラス、長袖は必須でした。
でも、風があったので、快適でした。6号から下っていくと、ガスだらけの曇りの日でした。

【服装】
トップ:ほとんど速乾素材の長袖Tシャツ1枚のみ。ボトム:カーゴパンツ 下りでは茶色いホコリまみれになりました。
スパッツ無しでしたが、登山靴の中にまでホコリや石が入ってくるような事はありませんでした。
小屋でのご来光のときだけ、ジャージの上を着ましたが、この日は寒くなかったので、防寒具や雨具の出番はありませんでした。

長男もほぼ同じ格好です。子ども用登山靴は下の子がお下がりで履けるので、惜しみなく出費しました。
スニーカーで登らされている子を多く見かけましたが、あれはかわいそうです。

【装備】
私・・・今回パーティーのリーダー、荷物係
35Pザック、雨具、水2リットル(子と二人分)、タオル、着替え、帰りの温泉用着替え、行動食
酸素スプレー缶(念のため)、敷物、ヘッドライト、その他小物

長男・・・号令係、ゴミ係
20Pザック、雨具、自由帳、筆記用具、おやつ、夏休みの宿題(自由研究)

【食事・水】
<初日>
朝食:スーパーあずさ号の中で手作りのサンドイッチを妻と次男と一緒に食べる。普段朝食は取らないので本当に軽めに。
昼食:合目のお店で私は山菜うどん(750円)、長男はざるそば(800円)を食べた。おいしかったです。
夕食:小屋のハンバーグ定食←お薦め おしんこと、お味噌汁、スパゲティーの付け合せ付。 ご飯、お茶はお代わりし放題。オプションで生ビール(800円)を頼みました。

<2日目>
朝食:カロリーメイト(チョコ味)を長男と1本ずつ、ヴィダーインゼリーを長男と半分ずつ。
朝?昼食:夕食時に小屋でもらったおにぎりを行動食としてときどき食べる。おにぎりといっても、巻き寿司(シソ味)と、鮭の切り身のおべんとう
山頂では缶ビール(600円)
夕食:帰宅して家で焼肉だったが、全然食べれなかった。塩気のあるうどんとかラーメンを妻にリクエストしておけばよかった。

【宿について】 八合目「東洋館」

最高です。リニューアル済みでとてもきれいです。
全く不満が無く、うわさに聞いていた山小屋のイメージを大違いでとても快適に過ごせました。
トイレは水洗式のバイオトイレなので匂いが無く、清潔です。トイレへはクロックス風のサンダル(笑)を借りて行きます。

子連れということもあってか、従業員の方が気さくに色々声をかけてくださり、サービスが行き届いていました。
16:00から食事開始です。ツアー団体の人たちは交代で忙しく食べてました。
長男が食べ終えるのに時間がかかりましたが、私たちはせかされることなく、ゆっくり味わってたべることが出来ました。
ここで、生ビール(800円)を注文。350mP缶(600円)もある。まさか生ビールがあるとは思わなかった。
夕食後、宿のお兄さんが腹ごなしに三千メートルの標識まで登ってみないか声をかけて下さり、私と長男と一緒に登ってくれました。

夕食後はやることがなくて困ったなと思っていたら、食堂にある液晶大画面TVで19:30まで北京オリンピックをみんなで見ることが出来ました。
まさか、富士山でオリンピックがみれるとは思ってもいなかった。。。。

今回は個室相部屋で申し込んだのですが、上下段4人ずつの8人部屋でしたので、私たち家族4人で上の段を占領することが出来ました。
布団も新しくさっぱりしており、1人子どもがいたせいもあって、広々していました。
下の段の方たちが午前零時に出発したあとは、私たち家族の貸切ということもあって、他人に気遣いすることなくご来光の5時までゆっくり休めました。

【ご来光】
このHPのお薦めもあって、小屋でご来光を見ました。5時5分頃でした。
そんなに寒くなく、がらんとした東洋館前できれいな朝日を見ることが出来ました。
雲の上で赤紫の空を眺めていたら幻想的な光景に酔いしれてしまいました。その後、8合目からの登山開始です。

【のぼり】
<1日目>5号目で1時間食事休憩したあと、11:30に登山開始。6合目までは色々変化もありましたが、6合目からは単調で、小屋を見ながら歩いているうちに、
あと言う間に15:00に東洋館に着いてしまいました。途中、コースはガラガラで、前後にほとんど人はいませんでしたが、時折、ツアーの人を追い越した程度です。

<2日目>5:30ご来光後にスタート。スタート後、30分くらいで、長男が疲れを訴えはじめました。
特に頭痛や吐き気は無いとの事でしたので、荷物をもってやり、休みながら歩きはじめました。山頂が見えてきたら回復してきたようです。
みんなで励ましあいながら、まだか、まだかといっているうちに9:30に山頂に着いていました。登ってみればあっという間です。
最初は疲れで感動の実感がありませんでしたが、パノラマの光景を見ているを、天の上にいる実感がこみ上げてきました。

【お鉢周り】
お鉢周りは予定に無かったのですが、長男の郵便を出しに行かなければならない事に気づき、荷物を置いて空身で山頂郵便局へ1人向かいました。
郵便局に着くまでの光景は独り占めするのがもったいないほどでしたが、皆を待たせているので、急いでポストに手紙を投函して着ました。
郵便局で登山道のほぼ反対にいることに気づき、そこでお鉢周りを決行しました。1週約40分でした。
観測所の坂がドリフのコントみたいで笑えない急斜面で、もしこれが反対周りで下りだったらと思うと恐ろしいです。
大沢崩れと噴火口の陽のあたらないところに少し残雪がありました。山頂もそんなに人のいない時間帯でした。

【くだり】
下りは長くひたすら単調な九十九折でした。でも、聞いていたほどのきつさはなく、転ばないように注意しながら楽しく降りてきました。
途中7号目上あたりで前方のスペースに寝転んだ人を乗せたブルに抜かれました。どうやらけが人を運んでいるようでした。
下り全般も前後に数人いる程度で、ガラガラでした。
降りるにしたがい、もう富士山にいるのもあと少しかという残念な気持ちと、早く帰りたい気持ちが入り混じっていました。
6合目に着くと、登山客でごったがえしていました。
長男は小走りしています。子どもは身軽で元気です。
けっこう、軽装でハイキングに来ている人が多かったです。富士山見えないし、景色もよくないし、あんまり楽しくなさそう。
5合目に着いたときは14:00無事おりてこれました。臨時増発のバスに間に合うように、あわててお土産を買って5合目を後にする。

【さいごに】
・お盆終わりの日ー月でしたが、ツアー客の方とうまく時間をずらせたおかげで、楽しくラクラク登山が出来ました。
家族連れということもあり、このHPで小屋ご来光をお薦めいただいて本当に良かったです。なにからなにまで参考にさせていただきました。
おかげさまで、今回パーティーのリーダーとしての面目が立ちました。

・ごみやタバコの吸殻が目につきました。といって、拾わないで見ているだけの私には批判する資格はありませんが。

・トイレにゴミ袋が放置されていました。100円を支払わないで使用している人もいました。富士山ファンの私には信じられませんが。

・就寝前、山頂に向かい、寒さに震える親子連れ(父親と小学生低学年くらいの子2人)の姿を見かけましたが、限界を超えたスパルタ親がいるんだと驚きました。
他人の事だから口出しできないけど。 教育方針なのか、親エゴ道連れなのかわからないけど、過酷としか言いようがない...
(でも、本人たちが望んでのことであれば、本物の家族の絆だ。すばらしい。)うちは親馬鹿であまいかも知れないけど、楽しくないとまた行きたいと思わないよねぇ。

・夜11時頃トイレに起きたとき、びっしり布団を敷き詰めた災害避難所のような食堂の光景に富士山山小屋繁忙期本来の姿を見てしまいました。
トイレに行くにはこの人たちの枕元を通りすぎなければならなく、薄暗い中、あちこちでひそひそ声や、荷造りの音がしていて気の毒でした。
月が明るく雲を照らしているのが印象的でした。月明かりは結構明るいものです。星もきれいでした。

・幸せなことに、パーティーの誰も高山病にかかりませんでした。私は高山病がどういうものか全くわからないほどでした。うまく高度順応できただけかもしれませんが。

・次の日、長男は筋肉痛はないけど、食欲が無いとの事で夏バテ気味でした。私は結構きつい筋肉痛で大変でしたが、また来年も違う登山口にチャレンジしようと心に決めました。

■19 精進湖口登山道・麓からの富士山登頂記

精進湖口登山道・麓からの富士山登頂記
(歩数計を使って頂上までの歩数を記録してみました)

毎年、富士山に登るようになり昨年迄で18回登頂している者です。茨城は潮来市在住の56歳、紛れも無い中年男性です。30歳代半ばの時、家族と登り富士山の高度の苦しさ、つまり高山病に散々苦しんで二度と登るものかと決意した一人です。「富士山に一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」とはよく言ったもので、下山してつくづくこの言葉の意味を味わった一人です。それが懲りもせず18回も続くとはどうもただの馬鹿ではないようで、一年が過ぎると富士山が呼んでいるようで、恒例行事になってしまった富士山に取り憑かれた一人と言ったほうがよいかもしれません。
過去、富士山頂18回登頂のうち9回目までは、バスで5合目まで行ってから登っていました。フタ桁台、つまり10回目以後を迎えてからは今までとは違うところから登りたいと思うようになったのです。地図に麓からの登山道が書いてある以上、道はあるはず、体験記があまり発表されてないだけで、不安であまり通る人がいないだけの話。今回はそんなコースのひとつ、精進湖口登山道を、身長170Cm 体重72.7Kg体脂肪23%のメタボな中年男、妻子あり、愛人なしの56歳が体験的に挑んで来ました。因みにこの登山コースを登るのは5回目となります。皆様の参考になれば幸いです。

準備として、7月の後半に富士登山予定をたて、その2ヶ月近く前から早起きして努めて歩くようにしました。これは例年のことです。富士登山を年間の行事に組み込むことで、そのために自然と自己管理をするようになり、ある一定期間とはいえ自分を鍛えるようになるのです。鍛えなければ、決して麓から簡単には登れないのが富士山だと体験からわかっているのです。土曜、日曜には必ず一万歩を歩くが、今回、平日にたまたま万歩計をつけてみて唖然とした。普通の日だと2000歩前後と極端に少なく、主に車頼りの生活になっているのにびっくり。これは都会より田舎の人に共通した特徴で、玄関から玄関まですべて車のドア・ツー・ドア。歩くのは車から玄関の間ぐらい。それに比べれば都会の人の通勤通学、駅、地下鉄の移動は田舎の人のハードなウォーキングに匹敵するといって過言ではない。練習日と平日のあまりの落差に衝撃を受け早起きをし、平日でも発汗用のサウナスーツを着て最低でも40分は歩くようになった。練習相手は飼い犬の「ルク」。白いミルク色の雑種雄で「ルク」。早朝、家族は寝ていても犬だけは庭で尻尾を振って待っていて同行してくれる。
7月の18日の金曜に休みを取り金、土曜2日間の登山予定とした。予定通り無事に帰れば次の日曜と月曜祝日とで連休になり予備日、休養日に充てられるのだ。木曜日に帰宅すると夜のうちに高速バスで茨城県から登山の格好に着替えて高速バスで東京へ。前日泊をしないと、次の日の河口湖方面への一番のバスには間に合わない。夜9時過ぎに新宿ワシントンホテルに到着、一泊9800円。ホテルと河口湖方面への乗車券はインターネットで直接予約し、乗車券は当日の窓口混雑を予想しコンビニ・サンクスで1700円を払って入手済みにしてあった。
当日朝、30分前に新宿高速バスターミナルに着いてびっくり。発売窓口が人であふれており「買っておいてよかった!」思わず独り言。ホテルもインターネット予約だと特典が付き水のボトルサービス、500円のクオカードを貰えた。時代はインターネットの時代。
新宿バスターミナルから河口湖方面始発便7時10分に乗車。中央道は順調に進み9時少し前に河口湖駅前に到着。当日の天候は曇天である。ここで乗り換える9時40分発の本栖湖方面まで30分以上の待ち時間があり、トイレ洗面所で2.5リッター水を補給する。今回、河口湖駅の外観が、垢抜けてシックな、茶色の建物へとリニューアルされていた。さっぱりとして内部も機能的、すっかり感じがよくなっていた。朝食は新宿のホテル自室で出発前コンビニ弁当を食べており空腹ではないがスタミナ補給にとこの駅のカフェでコーヒーとパンのセットを注文。カフェ窓際にはパソコンが4台あり利用者は無料。外人がやたらと利用していて、日本人は気押されてか利用者なし。どうせ時間はあるからと、私も外人に挟まれてパンをほおばりながらネットカフェの初トライ。自宅や会社以外で初めて利用してみたが各国向けに設定が変えられるように国別アドレスがわかりやすく明示されている。もちろん私は日本向けを選びYahooを入力、この日の天候、メールのチェック。キーボードを人差し指でしか叩けないが、そんな自分が如何にもネット慣れしたようでカッコいいーんじやないか、と大いに褒める。

店を出て500ccペットボトル2本を更に買い足し合計 3.5リットルの水分確保。定刻どおりバスは入線し出発。乗客は私を含めたった4名。

出発して20分後、10時5分頃に「赤池」バス停に到着。最後の一人で下車すると精進湖が目の前に。そのまま道路沿いに歩くと1分足らずで消防署、その裏に精進湖登山道の看板がある。この近辺はまったく寂しい所で人の気配がない。表通りから一本入って入り口があるので登山の用件の無い限り、誰も近づかないし気もつかない場所である。

登山道入り口で熊よけの鈴、ナイフ、ステッキ、歩数計を装備し柔軟運動をして10時20分に富士登山開始。入り口の標高は970m。今回、歩数計を持って富士山頂までの歩数を測ってみる。区間ごとの歩数を記入しながら歩いてみる試みだ。

登山道を入って100mほどで自転車が道の脇に乗り捨てられている現場にぶつかった。自転車の前かごにアップル社地図の静岡版が置いてあり、その下には中年以上が使うタイプの眼鏡ケース。開けてみると眼鏡も入った状態。樹海の入り口を地図で探し、自転車ではるばるとここ迄たどり着いた自転車の主は、ここから樹海に向かって歩き出したのだろう。自転車は放置後、数日が経った様子で、持ち主は果たして帰ってくるのだろうか。駅前の乗り捨てとは違う放置の仕方である。捨て去ったように倒れている。樹海は苔むしたような大地で、足音を吸収するように静かだ。
さらに3分も歩くと十字路があり、右側は精進湖民宿村、左側が風穴方面、直進は富士山頂への遊歩道となっておりここを直進する。ここからの1時間ほどの時間が一番不気味な樹海地帯で、静まり返り、上空からの陽射しが入らず薄暗い。絡みつくような樹木に覆われ、海のうねりのような緑に囲まれていて遠景の見通しが利かない。道をそれて樹海の中に入り込めば戻れなくなる所以である。その一本道を40分も歩いた頃、今度は道の脇に椅子にもなる老人向けであろう手押し車が置いてあった。自転車といい手押し車といい持ち主は何処に行ってしまったのだろう。近づいて手押し車のバッグを開けてみたが、日数を経てくたびれており、数日来の雨が溜まっていただけだった。自殺の名所といわれるこの樹海の真ん中を歩くには勇気が要る。事実、歩きながら時々鳥肌が立ってくる。両脇の樹海の景色の中に黒い陰のようなものが見えると思わず人だろうかと目を凝らしてしまう。一人では淋しすぎる道である。
 
歩き始めて5880歩で一本目の舗装道路に出る。 (以後は出発点をベースにした累計の歩数を表示します)  時間は12時5分。3〜40分位毎に数分の休憩を入れており、ここまで実質1時間40分前後だろう。歩いていてほとんど勾配は感じられない。この舗装道を横切るとまもなく進入禁止の大きな鉄の柵が前方に見える。「登山道入り口」と書いていないので柵が無い方向へ行ってしまう筈だか、実はこの柵こそが登山道。車だけをシャットアウトしている。柵を背にして5分で「富士風穴」の石碑が右側に見えてくる。ここにザックを置いて道草を食ってやろう50mも入ると大きなクレーターが現れてくる。人の話し声が聞こえ、下をのぞいて見ると10mほど穴の下で中年男女二人がなにやら岩壁に向かって作業中。『こんにちは、何ですか?』声をかけると、下から見上げながら『 昆虫採集です、穴の中に降りてくると涼しいですよ』と返答。いろんな人がいるものだ。柵のところに車が一台駐車していたがこの人たちの車のようだ。道草から戻って登山続行。
相変わらず登山といえない平らな道ばかりが続き、苔むした風景は変わらない。20分ほどで行き止まりのように2つの柵が出現する。正面と左に柵があり、この分岐点迄で約7500歩。ここの丁字路で昼食を摂った後、左の柵に進路を変える。道がだんだんと長い階段のように上がりはじめる。何百年も前からこの道は使われていたのだろうと思えるように石がこつこつと積み上げられ続けた道だ。少しずつ高度が上がっている。
(樹海の登山道。同行しているだろう霊達? と肩を組んで記念写真・セルフタイマー使用)

2本目の舗装道路横断は12.800歩。時間は午後の2時丁度だった。いつもの土日だとこれで十分の歩数。しかし今日は練習ではない。まだ今日の目的の半分にも行ってないだろう。黙々と歩いているうち熊笹の葉が多い景色に変わってくる。道路も平らなものから山をくりぬいた感じに変わっている。両脇に地肌が覆いかぶさるようだ。

3本目の舗装道路通過が2時50分。ここで15.700歩。渡った道路際にこの道に入って始めての小屋がありその軒下で大休止。軒下の縁側も朽ち果てそうで思わず地面に腰を移す。地面には見たことも無いような大蟻が歩いている。ここまでずっと緑に囲まれている登山道である。4年前やはり一人で歩いた時、ここ迄の途中3〜4箇所で倒木が道をふさいで、そのため倒木を乗り越えたり、間をくぐったりせねばならなかった。しかし今回、倒木のほとんどはチェーンソーで切り分けられ歩きやすいように処理されていた。汗だくの登山者にとって倒木の回避行動は体力消耗なので有難いことだ。助かる。この日、天候は曇りのままで蒸し暑さもさほどでなくここまでの水分補給も1リットル前後で済んでいた。

(車が入れないため倒木は分断されても放置状態)

今日の目標はとりあえず5合目手前の「奥庭荘」にたどり着くこと。そこまで水分を切らさないことである。この道には8年程前の苦い記憶があり、3合目に到着した時点で残りの水が500cc位しかなくなってしまい,奥庭荘までの以後の1時間以上を汗だくになりながら『これを飲み干したらもう残りが無い』と節約しながら登った事があった。一歩間違えれば脱水症で危うくなる暑さの時で、途中水場は一切無く、そのため危機感から周囲の植物についている葉っぱの水滴を舐めたことがあった。初めてのコースだったので地図にある時間通りに行けるものと楽観していたのだった。しかし、地図は健康で元気な人の場合の登山時間が書かれており、へばった登山者である自分にはとてもそんなに速くいけるコースではなかった。そこを地図どおりの時間でいけるのだろうと勝手に解釈したのがいけなかった。
3合目で、もしあの時、すれ違う登山者が居て、分けてもらえたならペットボトルの水を1万円でも買っていただろう。そんな苦しい、枯渇した記憶があり、以後水分だけは十二分に心がけるようになった。怪我の功名という奴である。
午後3時40分に、その3合目に到着。18.200歩。陽射しを避けてスバルラインの高架下で休憩。バスに乗るつもりならここの道路際バス停に待てば数十分おきに通るバスでショートカットも下山も思いのまま。体調はここまで問題なく水分も十分。体調と相談し、続行を決心する。あと2時間弱を歩けば暗くなる前には奥庭荘に辿り着けそうだ。夕闇も遅くなっている時期だし何とかなる気配だ。

坂の勾配のきつくなる3合目の広場には4時7分到着。スバルライ下から15分も歩いただろう。ここでは分岐路が3箇所に分かれている。船津口方面、富士山5合目方面、奥庭方面。一息入れて右側のペンキ看板「奥庭方面」の下に歩みを進める。ここから再び樹木に覆われた森らしい登山道に分け入り、登り始める。登りもここからいよいよきつくなり汗が出るようになるがすがすがしい森の冷気がほてった肉体を和らげる。3合目からの登りは木々に手で掴まっての登りとなって、ステッキが邪魔になる。
40分も登り続けた頃、身体を冷やそうと残りの水を計算する。河口湖駅で汲んできた水が3合目過ぎても半分以上は残っている。それに別に持っているペットボトルのお茶や紅茶の量も半分以上の量が残っている。この一月以上毎朝のようにサウナスーツを着て、汗をかいて歩いてきた成果だろうか。小屋まであと40分前後だろうと予測し500ccほどの水を頭から首筋までかけ、タオルをぬらし絞って上半身を拭く。実に気持ちがいい。オーバーヒートの車が冷却水を入れ替えたようなものだ。無駄の無いようビニール袋にタオルを入れ、水を注ぎ絞る。これだとダラダラと流れ落ちる無駄を防げる。リフレッシュしてから、あと少しもう少しと自分を励まし最後の踏ん張り。歩き続けていると『奥庭駐車場』の看板矢印が何箇所か見えてくる。人のいる所が近い証拠だ。
やがてラジオの声が遠くに聞こえてくる。小屋がすぐ近くなのだ。この時、ここで泊ることにしようと決心した。これ以上歩くと暗くなる時間帯だ。おまけにたどり着いたとしても5合目駐車場は人ごみが多く、大型バスの排気ガスも充満している。バスの到着する場所で、安息する場所ではない。奥庭荘なら静かで休める。小屋が見える位置に来ると、最後の水をすべて使い切ることにした。泊まるならまずこの汗臭い身体を拭き落としておこう。タオルをビニール袋に入れ、水を満たし絞り、頭から顔から上半身をゴシゴシと拭いた。水が空になるまで2度ほど拭いた。このまま寝ても汗が匂わないだろう位に念入りに拭き奥庭荘に到着、夕刻の6時。19.700歩。普通の土日の練習の約2倍の距離である。10Kg前後の荷物を背負い、足元の悪い山道なので疲労は倍以上。
奥庭荘に入るとすぐに宿泊を申し込んだ。泊まれるという。食事をしている2グループほどが居たが、みな車で来ているらしい客だった。バードウオッチや写真、スケッチの人たち。店の人が『何処へ行くのですか』というので『頂上へ行こうと思っています』というと『何処の』という。変なことを聞く人だと思ったが富士山以外の頂上がこの近辺は近辺であるらしい。『何処からおいでですか』と聞くので『茨城県です。朝、精進湖からずっと歩いてきました』というと食事をしていた客がプッと吹き出していた。車で来る人から見れば、思わず吹き出すようなアホに見えるようだ。とりあえず靴とステッキを所定の位置に置き、荷物を部屋に移すとすぐに着替え食事に。ビールを頼むと『瓶ビールでいいですか』と言う。山なので缶ビールくらいしかないと思っていたので思わず嬉しくなる。しかし、かなり疲れているせいか食欲がない。疲れていても、いつもならビールだけは飲めるのに、今日はそれもすすまない。胃が受け付けないのだ。運ばれてきた夕食は豪華なものだった。お代わり自由のご飯、温かいそば、野菜サラダ、山芋、チキンフライ、うなぎの蒲焼、小鍋料理、おしんこ、メロンなど民宿旅館並みの充分なものだった。しかし、ビール同様いつもの半分以下の食欲しかなく、行儀の悪い食べ散らかしで終わらせてしまう。   

足は鍛えてきたせいか特に異状が無い。宿泊申し込みの時にわかったことだがこの奥庭荘は、一般の山小屋と違って夜には入り口を閉めてしまうという。夜通し登山客の相手をする山小屋ではなく、民宿や旅館に近い営業スタイルだそうだ。無理を言って翌朝4時には遅くとも出たいと言い、ガラス戸の鍵をあけてもらうよう頼む。山小屋なのでお風呂は無い。水道、地下水が無い山なのだ。混雑してないためだろう、6畳ほどの部屋が与えられる。山小屋恒例の雑魚寝ではない。布団と枕、毛布、新しいシーツカバーが置いてある。高度2200m近い山小屋なのに寝巻きまで用意してあるのには感心した。宿泊客は私の他は2組位しかいない。夜10時には廊下やトイレ以外一斉消灯になる。私は疲れすぎて熟睡できず、夜の7時過ぎから横になったが数十分ウトウトしては目が覚めるのを2,3度繰り返し、深夜1時には完全に起きてしまった。横になってじっとしているのも脚の疲れをとるためにはいいチャンスだと寝返りを何度も繰り返す。朝の3時過ぎまで持参のラジオを聞く。3時半、そっと起きだし着衣と身辺の整理。LEDのライトを照らして忘れ物の無いようチェック。布団も簡単に片付ける。トイレに向かい用を足す。窓の外はまだ夜を引きずっている。トイレは匂いの無い簡易水洗トイレで排便も快調。すっきりする。登山を妨げる理由は無い。4時前にはすべての装具を身につけガラス戸を開ける。昨夜来、鍵は開けてあった様子だ。外は暗く、ライトを頼りにコンクリートの急な坂道を登る。15分も上ってスバルラインに到着。しばらくアスファルト道路脇を歩き、御中道に上る道路を見つけ登って行く。御中道とは富士山の5合目に沿ってぐるり一周する登山道路。ここで急に吐き気がしてくる。食事をあまりしてないせいか空のゲップが何度も込み上げる。胃の中に何か残っていたら確実に嘔吐していただろう。高山病がもう始まってしまったと判断した。起き抜けの体が環境に順応していないのだろう。今回のように高度2200m前後で吐き気を感じるのは今までで初めてだった。普通、6合目から7合目、高度で言うと2700m付近で襲ってくる吐き気がこんな低いところでやってくるとは。しかしそれに順応すれば後は何とかなるのが今までの私のパターン。数分間、吐き気と戦い続ける。峠を越し、胃も落ち着く。御中道までスバルラインから15分は上り続けた。やっと空も白み始める。やがて御中道の本道に合流、左へ。御中道からは眼下に街並み、道路、雲,本栖湖が見下ろせる。下界もやっと夜の終わりを迎えようとし、鳥の声があちらこちらでさえずり始めている。

ここで変な錯覚に襲われた。右側に高い山がさっきから見えており、それこそ富士山なのに、違う山であるかのように錯覚。白い雪がコンクリートの構築物のように見え、昔の何かの施設跡かと見えてしまう。こんなに富士山が近いわけがないという錯覚からの思い込みである。奥庭荘を出て、1時間はたっていた。

五合目駐車場が近づく頃、右足が突っ張ってくる。疲れが出てきたかとギクリとする。ひざ横から腰の脇外側にかけて痛みを伴い筋が張ってきている。普通の生活だったら安静にしていたい位でこのまま続けると右足を引きずりかねない。
脚をかばいながらゆっくり歩く。5時20分にすっかり明るくなった5合目に到着。麓から29.500歩で5合目に来た計算。休憩所ベンチに座り下界や山頂に交互に目を移し、さてこれからどうしようと考える。自分にとってこの距離が体力の限界なのだろうか、脚の悲鳴がそれを訴えている。3年前も同じこのルート、同じこの辺で筋が張って痛くなり、最悪を考え夜、最終バスでリタイヤしたことがあった。その時とまったく同じ状況だ。もう自分は無理して頑張れない年齢になってしまったのだろうか。せっかくここ迄たどり着いたというのに痛みが出るとは。もし中断するとしても、早朝一番の下山バスは7時過ぎだろう、それまではここにいるしか無い。一人きりの登山なので頼る人は居らず安全を第一に考えなければならない。56歳は若者のように無謀、無茶をする年齢ではない。家族もいる。自分だけの問題ではない。心はまったくリタイヤに傾いた。ベンチ周りにいる、車で到着したばかりの元気あふれる家族連れや友人同士のグループを眺めるとそのあふれる健康さに圧倒され異次元の人種を見る思いだった。ここでは自分は浮いてしまった存在だ。諦めようと思った。やはり俺はただのメタボだ、馬鹿だ、単なる中年、いや中高年親父だ。練習を積んだって所詮は歳には勝てないのだ。遠慮会釈の無い罵詈雑言が沸きあがっては自分に降りかかってくる。自分の中のサ加虐ド性とマ被虐ゾ性とが入り混じる。

30分もじっと座っていたろうか見切りをつけ、土産物屋で何か買って帰ろうと腰を上げ歩き出し「あれっ?」と思った。ついさっきまでの脚の突っ張った痛みが消えているのだ。足の付け根からさすって探してもさっきの筋の張り詰めた痛みが無い。しばらく休んでいて体調が戻ったのだろうか?自分で自分の脚に驚いてしまった。でも、歩き出してまたぶり返す危険もある。なんとなく6合目に至る道を、試すように歩き出す。辞めたい心が半分、続けたい気持ちが半分。「6合目迄で痛くなればそこから戻ろう」とそろりそろりと歩き出す。ところがこの状態が持続し、つまり痛みが消えてそのまま登頂を目指すことになった。6合目着が6時30分。麓より32.200歩で安全センター前に到着。
6合目からは初めての日中の登山となる。今までは夜をかけて登ってばかりいた。暑さ知らずの半面、日中の景色を見ない「登山のためだけの登山」であった。じっくり周囲を見て味わう登山ではなかった。それを今回変えてみたかった。実際、遠くの山々、八ヶ岳を中心に山脈群が、湧き上がる雲に洗われ揉まれ続ける様子がよく見えた。山脈は壁であり、押し寄せる雲は山を囲み、覆い包み、すべて満たすと溢れ、山麓へとこぼれていく。富士山だからこそ見られる壮大な景色だった。5合目でいったん完全に諦めかけていたのに、肉体だけが頂上を目指しているようで、不思議だった。精神が肉体を左右するではなく、肉体が心を左右しようとしている。こんなこともあるのか、何か憑かれたように歩き続ける自分がおかしかった。6合から7合目まで道は砂礫層で足許が滑りやすく踏ん張りの効かないロング長く・アント゜くねったワイディング九十九ロード道となっている。日焼け止めのクリームを首筋から耳の後ろにかけて入念に塗る。山の日光の紫外線の強さは要注意だ。
7合目到着、8時10分。34.500歩。私にとっての魔の2700m地帯だ。ここまでも何度か吐き気が襲ってきた。朝食を食べる気にもならずやたらペットボトルの紅茶だけが身体に染み入った。ここからは一気に足許が岩盤地帯に変わり勾配もきつくなる岩場だ。鎖をつかみ自分の身体を腕で引っ張り上げ進む山道になる。富士山は決して安易な山道ではないのをここ7合目から教える道となる。高度に比例し呼吸の苦しさも増してくる。
8合目太子館に9時50分到着。36.300歩。この8合目で高度がいよいよ3000m台になる。この辺に来て、もう戻る気はなくなってきた。呼吸も苦しく10歩登っては肩で呼吸し10歩分以上の時間を休むようになる。おまけにやたらと目蓋が重くなる。酸欠状態が慢性化してくるのか休憩時間も多くなる。次の山小屋・蓬莱館にたどり着いた時にはよっぽど仮眠を申し込もうかと思ったほど眠気がピークを迎えた。仮眠は3000円と書いてあった。倒れ込んだら10秒以内に熟睡モードで眠れるだろうと思った。これも高山病の症状だろう。我慢して、ベンチに腰掛け10分以上ウトウト気分であった。一人旅のよさはこの気ままさにある。団体だったらここで無理をしてついていくことになるだろう。体が要求するだけ座ったまま休みを取ると眠気の波も去り、吐き気もなくなっていた。
八合五尺に39.700歩、12時20分に到着した。いつまでも続く八合目の表示が「もうすぐもうすぐ」の詐欺看板に思えるくらい辛い。いつまで登っても八合目、ここはと思っても本八合目、いったい何処が本物の八合目なのかと訴えたくなる頃、やっと八合目から抜け出せた感じだ。この辺で足元が岩場から砂礫道に変わる。見通しがよく、頂上を見上げればよく見えるのがなんとも嬉しくまた辛くもある。「あとこれだけ」「まだこれだけ」のネガティブ思考、ポジティブ思考が頭の中で交錯し続ける。自分との戦いが本格化する高さだ。風が日中でもかなり冷たい。冷蔵庫の冷気のような冷たい突風の通り道がところどころにある。登山者に外人がやたら多く30パーセント以上は外国人かと思う。この人達は日本人だろうと思っても聞こえて来る言葉は韓国語や中国語。毎年この傾向は多くなるのだろう。登山をしていていつも白人の強さには感心する。女の子でさえゆとりで登っているようで、いつの間にか追い越されている。戦争に負けるわけだ、と変な処で感心する
9合目の鳥居下に午後12時56分着。40.500歩。とうとう4万の大台を超える。あといくつのつづら九十九おり折を曲がれば済むか見上げれば数えられる。あと12回、いやあと13回九十九折の角を曲がれば頂上だ。この鳥居の周囲にはお賽銭としての硬貨が、しかも各国のコインが散らばっている。ここ迄来ては行くしかない。マイナス思考がここまでくると消えてくる。9合目からは上しか見ていない。下を見る気持ちなんかまるで無い。
頂上の最後の鳥居を午後1時45分に通過、ついに登頂! 階段を上がり終えこれ以上の上りが無い景色を見たとたん「もう登らなくていいのだ」という安堵感で力が抜けたように立ち止まった。この安堵感は登った者でしか味わえないものだろう。まずは安堵感、そして次にじんわりと達成感。ここまでの歩みが累計で41.000歩となっていた。
昨日の午前10時過ぎに「赤池」バス停から出発して合計41.000歩、休憩、宿泊も入れて26時間で1合目から頂上に来たことになる。5合目からは約8時間、10.500歩。全体を100とした割合では麓から5合目迄が75、5合目〜頂上が残りの25の割合で歩いたことになる。いかに富士山の裾野が広く長いものか身を持って体験し、記録できたのは幸いであった。
 頂上の神社で唯一のお土産、お守りを買う。ある病を得ている女性のために買った。  
もし、精進湖からの登頂達成が出来れば、苦しみの代償で手に入れたお守りには満願成就の成果がこめられ真のお守りになるはず。今年の登山、登頂の目的にはその女性への災難からの復帰祈願も含まれていた。くじけそうになった時、登らねばならぬという義務感と使命感が何度も鞭打った。これは言わば願掛けの登山でもあった。五合目でなかば諦めたのに奇跡的に続けられたのはこれらの思いが根底にあったからに違いない。自分のためだけの登山だったら途中で諦めていたろう。 
今回の登山では売店でコーラをよく飲んだものだった。普通の生活だと年に1〜2度くらいしか飲まないのに今回の登山では頂上までに3回も買って飲んだ。食欲が無いがコーラだと自然に身体に浸み込んでいくのが実感でき、スタミナも落ちなかった。大いに助けられた。頂上よりメールで登頂達成を妻に報せる。電話で話すと話している間に感極まって涙が出そうだったのだ。周囲では感激して下界に向かって何か叫んでいる人もいた。それぞれの決意と感動がこの頂上の人たちの胸に去来しているのがわかる。
一休みを終え、火口に回ると残雪が残っていた。私の頂上はここである。火口が見えるところが私にとっての頂上で3776mの剣が峰は眺めるだけで充分。今年もこの光景が眺められたといとおしく眺める。
 
頂上には30分ほどしか留まらなかった。帰路は、須走り口を目指した。登りと下りの登山道は事故のないように分かれている。下り始めて5分ほどの所で若い女性の4人連れが座り込んでいる。そのすぐ脇に自分も座ってこの日初めての朝食を午後の時間になって摂る。食べるものは昨日のコンビニ弁当の残り物、いなりずしと太巻きが一個だけ。二十歳前後の若い女性たちも休憩か食事で座っているかと思ったら仲間の一人が気分悪くなり歩けなくなっているのだった。吐いて、動けないという。高山病か、熱中症と思い頚動脈をタオルで冷やすよう首の冷やす場所を教える。手先が冷たく、貧血の疑いも。私の娘にちょっと似ていて急に親心が出て、活力が出るように肘とひざ下のツボを指圧して励ます。娘や妻の体調が悪い時、これをやってやると大概に体調が戻るので、この娘さんも少しはよくなるかもしれないと思っていた。ツボには慣れているので手の指も何箇所か刺激する。「若い女性の手を握りたくてやってるんじゃないですからね」というと4人とも笑い声を上げていた。
高山病なら降りれば治る。重い荷物は下の小屋に預けてあるそうで身軽な様子。下山道で仲間が3人もいるので、登りと違い何とか帰れるだろうと、やや後ろ髪を引かれる感じだが励まして後にする。酸素ボンベを分けてくれ、立ち去るグループの人もいた。
須走り口は5〜6年ぶりだった。九十九折が1時間も続いた頃、一直線の下りに入る。勾配の角度も一直線になると急になり、歩みがなかなか停まらなくなる。ザクッ、ザクッと細かい瓦礫砂の中に脚が埋まり滑り落ちていく。下りは上りと違って体重と下りの衝撃が加わり脚の負担は登りの数倍になる。ゆっくり降りたいが引きずられるようでなかなか停止できない。スピードを抑えるだけで精一杯、脚全体がガクガクしてくる。この下りのスピードをゆっくりとコントロールできれば登山のあとの後遺症も大きく軽減されるのだがくたびれ果てた脚には引力に抵抗するだけの力が入らなくなっている。

(須走り下山道の直線の砂走り)


4時20分過ぎ、須走り口小屋に到着。休憩しながら何気なく貼ってあるバス時刻表を見ると、5時丁度に御殿場方面のバス発車予定と書いてある。ここの休憩所からバス発車地点までさらに30分とも書いてある。それを逃がすと1時間以上次の便が無い。ごくりとコーラの残りを飲むと、休憩もそこそこにすぐに出発。風景が砂礫から緑の豊かな森に変わっている。木々に覆われた道をずんずんと下る。間一髪で間に合うかどうかの時間帯だ。下手をするともう一泊になるかどうかのぎりぎりの線。なぜかこの登山道を下る時はいつも同じような余裕の無い状態。確か今回で3度目になるこの下りコースは以前も同じようにぎりぎり間際での乗車だった。ゆっくりと楽しんで下るのはいつのことやら。
やっと4時55分になってバス発着場に到着。到着と同時に迎えてくれた人が、エアホースでサーッサーッと砂埃の汚れを落とすサービスをしてくれたのは実に有難かった。前から後ろから帽子、靴、リュックまでサーっと空気を吹きかけ山で浴びてきた汚れを吹き落としてくれる。下山者の苦労がわかる何よりのサービスだった。乗車までの5分の間に乗車券1500円を買い、冷たいソフトクリームを持って乗車。車内でおいしく頂く。空いていた一席に腰掛けることが出来、歩数計を見ると53.600歩。下りは現在の53.600歩から頂上の時の41.000歩をマイナスして12.600歩の計算。5合目区間だけの対比で行けば登り10.500歩、下り12.600歩となる。下りの歩幅が登りの倍以上になることを考えれば下りは裾野の長いコースだったのが数字からもよくわかった。御殿場駅に着きバスから降りようとすると思わずよろめいた。踏ん張る力が脚全体から奪われた感じで、下りの衝撃で筋肉や筋が麻痺しているようだ。
駅のトイレに入り洗面所をひとつ借りて上半身を濡らしたタオルで何度も拭いた。洗面所の中は洗う度にタオルからは黒い汚れが尽きなかった。どれだけ砂埃を浴びどれだけ汗に汚れてきたか、この二日間の汚れ具合を表していた。せめて上半身だけでも新しいTシャツに着替える。もし時間が無くて、このまま電車やバスに乗ったのでは周囲の人に不快な汗のにおいを振りまくことになり、せめてものエチケット。体中、露出している部分は耳の中も鼻の穴も黒く汚れていた。
東名インターの御殿場バス乗り場までタクシーで870円。東京駅への高速バスに乗り継ぎ東京駅。更に東京から茨城の「水郷潮来」高速バス停留所に戻ってきたのは夜の9時50分になっていた。本当に、須走り下山道であと5分遅れていたら帰りはさらに一時間以上ずれ込みこの旅はもう一泊を必要としていたかもしれない。バス停に迎えにきていた妻の前で、バスから降りる時、不様に脚がカクンとなってしまい失笑された。数日、脚の痛みに苦しむことになるだろう。帰ってみるとこの出発から戻るまでの2泊3日の間に関東の梅雨も開けていた。出発の日、体重は73Kgだったのが帰宅後、風呂から上がり計って見ると70.7Kgと2.0Kg以上の減、体脂肪もいつもは22〜23%なのが18%に減。今日計ればメタボも軽いのにと自慢すると『お父さん、毎週富士山に行ったら』と17歳の娘は言う。我ながらよくやった、と缶ビールを開ける。登頂に乾杯! 成功に乾杯!メタボに乾杯!
こうして私の56歳の挑戦は何とか無事に幕を閉じた。19回目の登頂なのであと一回で20回。これはまた来年の苦しみ、いや、楽しみに残しておこう。さて、来年は何処から登ろう。

付記・皆様へのせめてもの私のアドバイスとしては「無理は禁物」に尽きます。
毎回今まで19回のほとんど登頂を達成しているのは変な話ですが一人で行っていることが多くそれが大きな要因です。一人で自由気ままに道草を食い、限界になれば回復するまでだらけているためです。グループで行くとどうしてもご来光に合わせたタイムスケジュールに従って登り、平均以下の人たちには無理が重なり、蓄積した疲れで脱落していきます。最後尾の中高年登山者がリーダーから「あなたは無理です。これから先は下山してください」そんな光景を登頂ツアーの傍らで何度も見ています。9合目迄たどり着いて、グループの下山集合時刻に合わせるため、頂上を目前に泣く泣く引き返す人たちを毎回見かけます。 
私もこのグループに入っていたら同じペースではいけないなと思うことが何度もあります。休みたいリズムに個人差があっても団体の場合、各人にあった休憩は許されません。団体がばらばらになるのでそれは仕方の無いことです。が、一人だと休む時には充分に休み、眠ければ行き当たりばったりで泊まることもあります。結果として無理をしていないので達成できているのです。何でいつも歩くのが遅い私が登頂できるのかと考えた時、結論はそこでした。5合目から7合目間を歩く時、私より遅い登山者はめったに見ません。半面で7合目から8合目だと私の場合ほかの登山者より調子がよくなります。岩場を脚よりも腕で登っているからでしょう。ペースは人それぞれなのです。無理は禁物なのです。
一歩あたりの歩幅は私の場合、約60Cm 特に歩幅が広いわけでも短いわけでもありません。脚は少し長い方かな、その辺はちょっと見栄を張らせてください。歩くスピードは決して早いほうではなく、都会の雑踏だと追い抜かれて歩いているタイプです。特に秀でたところも無い平均的、またはそれ以下の日本人だと自負しております。
歩数、時間など少しでも富士登山の参考になればと記録してみました。歩数については十単位の歩数は細かすぎるので略し、百単位にまとめて表しました事をご理解ください。富士山愛好家やこれからトライしてみようという人たちの参考になれば幸いです。

■20 息子(11歳)と初めての富士山登山 38歳男(富士宮口より)

この夏、息子二人で富士山登山に挑戦して来ました。

本屋で、富士登山の本を見たことがきっかけに、数ヶ月前よりこちらのサイトや、本を隅から隅まで読んで準備してきました。

まだ、体力には自信がありましたが、富士山も初めて、登山もはじめてで・・・・

8月11日の夜中、千葉の自宅を出発して

12日

2:00 水ヶ塚駐車場(1400)に到着・・・仮眠をとる。半袖では寒いくらい・・・
7:00 マイカー規制の為、シャトルバスにて、富士スカイラインを通り新5合目(2400)へ・・・・(40分)
新5合目に着き、高地に慣れる目的も兼ねて休憩・・・・・天気晴れ

8:40 登山開始・・・・・黒い砂道で、傾斜もあまりきつくなく歩き易い。

9:10 6合目 2件の山小屋があり、5合目で購入した金剛杖に焼印を押してもらう。

10:00 新7合目 標高差290を50分で登ってきた。ガスがかかり雷が聞こえてきた・・・

11:00 元祖7合目 岩がゴツゴツ、勾配もきつくなって、1歩1歩はきつくなってきた・・・ハァ・ハァ

12:30 8合目 ペースも遅くなり、途中休む回数が増えてきた・・・ガスがかかり視界も悪い
たまの。晴れ間から9合目山小屋が見える。携帯酸素を使いはじめる。

14:10 9合目 予約を入れておいた山小屋に到着。昼食にカレーライス。
息子は元気・・・・自分は少し頭痛してきたので、鎮痛薬を服用。
夕方まで、休んで、夕食にカレーライス。8時消灯

13日

2:00 出発 山小屋で朝食の弁当を受け取り登山開始。

3:20 9合5勺ヘットライトの明かりをたよりに、岩場を上がってきた・・・・気温8度寒い・・・

4:15 涙。息子と二人頂上に着いた・・・・感無量・・・・

5:00 ご来光 すばらしい・・・・・苦労して登ったかいがあった。気温4度寒い・・・

剣が峰登頂も予定していたが、頂上に着いた安ど感からか、息子が頭痛を訴えてきた・・・鎮痛薬を飲ませ休ませる。予定を変更して、下山することにした。登る時よりも辛いようで、数メートル進むことに、休憩を繰り返した。励ましながら・・・1歩1歩・・・やっと、8合目に着いたころには、薬が効いたのか楽になったようだ。

途中、雨が降ることもあったが、無事10:30 新5合目到着。シャトルバスにて、駐車場に・・・カーブが多く今度は、車酔い(笑い)・・・・・

今回の登山は、自分にとっても、息子にとってもすばらしい思い出になりました。
  絆も深りました。

・・・・・・・・登山を成功させるために・・・・・

   準備を万端に・・・時間には余裕をもってマイペースで・・・・・
   準備では、こちらのサイトが、非常に役に立ちました。ありがとうございました。