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皆様より寄せらせた 栄光の体験記。役にたつお話・・・
 2005年版(5)

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41 富士登山「小学校1年生記念」

パパ40歳、ママ35歳、俊介7歳です。「後悔しない富士登山」で勉強させて頂き、初心者家族3人で山頂を目指しました。だれひとり、登(のぼ)ったことがなくて、みんな初(はじ)めての。。。。最初(さいしょ)は、8月13日に予定(よてい)していた富士登山も天気(てんき)が悪(わる)い為(ため)?、前の日(まえのひ)に怪獣(かいじゅう)、亮(りょう)ちゃん、智代(ともよ)ちゃんたちメンバーとの打合せ(うちあわせ)をした結果(けっか)、20日に延期(えんき)となりました。それで、13日は韮山(にらやま)のミス高原(こうげん)でバーベキュウ。。。はるちゃんやくるみねえちゃん、もちろん大(だい)ちゃんも一緒(いっしょ)でこれはこれで楽(たの)しかったね。

 富士登山の20日に近くなって、メンバーそれぞれの都合(つごう)とか体調(たいちょう)により、結局(けっきょく)、家族(かぞく)3人だけで富士山頂(ふじさんちょう)を目指(めざ)すことになりました。これまで、他人(たにん)任(まか)せだったパパは、あわててインターネットで情報(じょうほう)を調(しら)べました。ママと相談(そうだん)して「後悔しない富士登山」作者さんの2回目で勉強した結果、富士宮口(ふじのみやぐち)からの登(のぼ)ることにきめ、新5合目(しん5ごうめ)まで行く道(いくみち)を調(しら)べたときには、もう夜(よる)の1時(1じ)でした。それから、2時間(2じかん)くらい寝(ね)て3時半(3じはん)には起(お)きました。俊介は出発(しゅっぱつ)するギリギリまで寝(ね)かしてあげようということで4時ころおきました。そして一度(いちど)4時半(4じはん)に家を出発しましたがママがつえを忘(わす)れて取(と)りに帰ったので結局(けっきょく)5時に家を出発しました。
 7時くらいに新5合目についたけど、車(くるま)をとめる場所(ばしょ)が無(な)くて30分くらいしてやっととめられました。8時になる前(まえ)に登り始(はじ)めました。

 6合目までは、ちょっとしたハイキングという感(かん)じ、俊ちゃんも楽勝(らくしょう)でしたね。7合目までは何回(なんかい)か休憩(きゅうけい)をして酸素(さんそ)をすいました。岩場(いわば)も大変(たいへん)になってきました。あめを食べ、チョコを食べまた元気(げんき)を出して登りはじめます。次(つぎ)の小屋(こや)が見えたので8合目だと思ったら、そこは元祖(がんそ)7合目で、そこからまた元気を出して8合目を目指しました。俊ちゃんは頭(あたま)が痛(いた)くなってきて、寒(さむ)くなってきて、パパとママの上着(うわぎ)を借(か)りて、大きい岩、すべる坂(さか)をがんばって登りましたね。ママがもう降(お)りようかといっても、首(くび)をふってガンバルといったね。何度(なんど)も何度も途中(とちゅう)でたおれこむたびに、聞いたけどガンバルと言ったね。

 8合目から上は霧(きり)と雨(あめ)でもっと寒く、パパもTシャツだけでなく、上着を着(き)ました。9合目にいく途中で休んでいるときに小学校4年生のおねえさんとその家族とはなしをしましたね。おねえさんとそのお父(とう)さんは初めてで、お母(かあ)さんが2回目だって言っていましたね。おねえさんたちが先(さき)に出発しました。俊ちゃんも後(あと)からガンバって登りました。さっきよりも、もっと斜面(しゃめん)がきつくなって、岩もたくさんあってつらかったけど、ガンバってやっと9号目に着きました。さっきのお姉さんとその家族とまた会いました。お姉さんのお母さんから後1時間半くらいだからガンバってねとはげまされたね。この時はもう2時半になっていました。なんとかカップラーメンで元気を取り戻(もど)した俊ちゃん。

 頂上を目指して9合目を出発しました。ラーメンを食べた元気もすぐになくなり、もう頭が痛くてたまらない。足も動(うご)かない。9合目半でもう降りたくなったけど、小屋のおばちゃんや、頂上から下ってくる人がみんな俊ちゃんに「がんばれ」、「あとすこし」、「ちいさいのにすごいよ」と声(こえ)をかけてくれたね。そして下ってきたお姉さんともまたあって、「もうあれが頂上だよ」って。。。

 そして最後(さいご)のひと踏(ふ)んばり。俊ちゃんは自分(じぶん)の力(ちから)で立(た)ち上(あ)がり、頂上の鳥居(とりい)をくぐった。パパもママも俊ちゃんの根性(こんじょう)におどろきました。ママも負(ま)けじと4時で閉(し)まっている郵便屋(ゆうびんや)さんの入り口をたたいて、みんなに出(だ)す為に、持(も)ってきたハガキをあずかってもらったね。この時はもう5時前でした。

 頂上の小屋はもういっぱいで泊まれないから、仕方なく30分ほど休んで5時半に下山(げざん)しました。9合目半でまた小屋に寄(よ)ったけど、登るときにはげましてくれたおばちゃんが休まずに降りたほうが良いよって行ってくれたんで一緒に写真を撮っておりましたね。それから先は、雨で滑(すべ)るし、暗(くら)くて見えないし、くだりも大変だったけどほとんど休憩(きゅうけい)せずに6合目まで降りました。途中の雨はとても冷(つめ)たかったけど、6合目の雲海荘で食べたラーメンはとてもあたたかくて、おいしかったね。お店(みせ)のお姉さんも優(やさ)しかったしね。ラーメンを食べ終わったときにはもう11時を過ぎていました。

 12時前に新5合目を後にし、家に着いたときには1時を過ぎていました。次の日も早起(はやお)きして、大ちゃんも連れて、自衛隊の演習を見に行きました。戦車!、ヘリコプター!、ミサイル!すごい迫力です。でも、俊ちゃんの目にはそのかなたにそびえたっている富士山の偉大(いだい)さ、そしてその富士山の頂上まで登ったという達成感(たっせいかん)のほうが、心にのこっているのかもしれないね。これから、富士山を見るたび、「あぁ、あの雲(くも)の上(うえ)の頂上(ちょうじょう)まで登ったんだ」という満足感(まんぞくかん)が胸(むね)をいっぱいにします。遠(とお)くで見ていただけでは分(わ)からない、感動(かんどう)を味(あじ)わったと、心(こころ)から思(おも)います。俊ちゃん良くがんばったね。そして、パパとママに感動(かんどう)をありがとう。

大ちゃん3歳が1年生になったときにまた「後悔しない富士登山」で勉強させて頂き、チャレンジしましょう。

「後悔しない富士登山」作者さんありがとう。

■42 ある山小屋の体験

先日(8/18)富士宮口から登り山頂の山小屋に宿泊したのですが、19日の朝のことですAM4:00チェックアウトなのですが朝食の後トイレに行きたくなり山小屋のトイレは非常に臭く使いたくなかったので外の公衆トイレを使用しようとした時、バイト(?)の若い兄ちゃんが外に出るなら荷物を持ち二度と入って来るなとの事でした。妻と子供がまだ食事中で残っているのでトイレ位行かせてくれるよう頼んだところ「そんなのは関係ない!出るなら荷物を持って出て行け」との事でした。私もつい「融通のきかない所やな」っと言ってしまったのですが。その言葉への反応が「なに〜を!」でした。私も怒りを抑えるのがやっとので荷物を持って出ようとしたところ。今度は出口のところで3度胸ではありますが私を押し倒そうとする有様です。その後、妻と子供が出てきて、妻も「少し位融通してくれませんか?」とお願いしたところ「サッサと出て行ってください」とキッパリ言い放ち 妻が出た後、あからさまに嫌がられのようにドアを力一杯閉めたそうです(もう少しで足を挟まれる所でした)山小屋のルールも環境も理解はします。しかし、この山小屋の(この従業員だけかも知れませんが)対応は横柄を越え、悪質風俗店となんら変りが無いように思えてなりません。私は二度とこの山小屋を利用することは無いでしょう。ちなみにこの山小屋は消灯PM7:00起床AM4:00でその間は一切外出できません。満点の星を楽しみにして利用される方には不向きです。あと、厨房の中では私の見る限り常にくわえタバコで料理をされているようでした。
 個人的な敵意だ!と言われればそれまでですが、今回の登山はこれがなければ天気にも恵まれ、ご来光も拝めた最高の登山だっただけに残念です。長々と申し訳ありません。こんな経験をした人間もいるって事を知っておいてください。

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■43 親子で初めて登りました

05年8月14日〜15日で河口湖より親子で初めて登りました。
 父 42歳 長男 中1 次男 小5
 いつもちょっとした休みがあると河口湖の家に休養がてら遊びに行って、正面に見える富士山を見ながら子供と「いつかは登りたいね」と言ってました。子供達も大きくなり、そろそろと思いながらも日時が合わずにいました。すると今年はお盆休みにそれぞれの行事も無く、やっと登る決心をしました。いざとなると不安だらけでしたがこのサイトで勉強させて頂き、不安は楽しみに変わりました。情報が多すぎて頭でっかちになるのは不味いですが、最低限の準備はできたと思います。
 高山病には特に注意をと考え、親子3人で酸素ボンベ5本(山では高額なので)固形酸素1こ、酸素プラスウォーター3本購入。父はひと駅早く降り約3Kmを毎日歩きました。

8月12日夜に東京を出発。夜中1時ごろ河口湖の家に着き、翌13日は特に何もせず遅れて来た嫁さんを河口湖駅に迎えに行ったぐらいです。あまり天候は良くなく、雨が降ったりやんだり遠くで雷鳴が聞こえたり、天気予報も当日富士山は曇りのち雨、雷に注意とありました。計画は1泊2日。初めてですので無理な登山はしない計画です。
14日朝は少し日が差していましたので5合目までは行ってみようと言って嫁さんに河口湖駅まで送ってもらいバスに乗り換え5合目をめざしました。5合目ではさほど天候が悪くなく、ガスが出ていましたが山頂方面がよく見えましたので8合目の予約している元祖室まで行こうと決め、嫁さんにもその旨を伝え出発しました。
 6合目で天気情報を確認しようとしたその時に突然雨が降り出し、大慌てでレインウェアを着込みました。天気情報もその通りで不安がよぎりましたが他の登山者やツアーの方々は何事もなかった様に行かれてしまい、なぜがおいてけぼりを食らったような感じがし、子供にははじめの約束「8合目までは頑張ろう」といって私達も出立しました。その後天候は良い方にはずれ、多少のガスや雲が出ましたが、登山道を見上げたり下を見た景色は最高でした。

 歩くペースは5合目で20分ほど先に出発したインストラクター付のツアーの方達がいましたが6合目過ぎに追いつき自分のペースを乱されると感じ追い越してしまいました。当初は次男の歩くペースに合わせていましたが、ふと「何度も登山をされているインストラクターの方のゆっくりとしたペースがいいのかも」と思い、そのペースを真似ました。亀のように遅いペースで、一歩一歩踏みしめるように、岩場では大きく脚を上げずに出来るだけ小さく出しました。休みは多くとり、時間は短くしました。

 結果的に真似たのが良かったと思います。バテる事もなく、高山病にならず、登山ができました。

 約5時間で元祖室へ到着。まずは一安心。夜景がとても綺麗で天気も回復しましたので、山頂へ登ることを全会一致で決議し床に入りました。夜、河口湖からも富士山の山小屋の灯りが良く見えたそうですが、大きな鳥居が見えたそうです。所々に鳥居があるのですが肉眼で見えるのでしょうか?それも夜に。嫁さんは見えたと言うのですが、事情が分かる方は教えてください。

 翌朝5時元祖室でご来光を見て、朝食を済まして5時30分出立。お世話になりました。天気が良く日差しが痛いぐらいでした。見下ろせば登ってきた登山道が見え、絶景でしたが、高所恐怖症を思い出し縮み上がりました。あとは昨日のペースを守りのぼり続けました。途中、次男が「頭が痛い」と訴え高山病になりましたが、酸素吸入・固形酸素・酸素プラスウォーターを食し非常に軽くすみました。私と長男は症状がまったく出ませんでした。これも亀さんペースのおかげと思います。

 8時10分念願の山頂へ辿り着きました。写真を何枚も撮りました。河口湖の家で一人で待っている嫁さんに写メールを送りました。この景色と達成感は登った人にしか理解できないでしょう。山頂は少し雲が出ていましたが、日差しを遮る程ではありません。子供達は自分へのお土産と、お母さんのお土産選びでこの感傷には無縁です。下山前、缶コーヒーとポタージュスープで乾杯し阪神タイガースのフラッグを掲げました。火口を見ながら9時過ぎ下山を開始しました。山頂には1時間ほど居ただけです。下山は単調です。時々振り返って山頂を眺めました。みるみるうちに山頂が遠ざかって行き、苦労して登った事が嘘のようです。時折登ってくるブルドーザーを壁際にへばり付く様にかわし、ゆっくり下山しました。父はこの下山で左ふくらはぎを痛めましたが歩行には差し支えありませんでした。あと少しで5合目に到着という所で嫁さんが迎えに来ていました。びっくりしましたがうれしかったです。一人で待っているのもつまらなかった様です。

 5合目到着は12時でした。みんなでジュースで乾杯をして、河口湖の家に戻りました。家ではすぐ風呂に入り、子供達は機関銃のように思い出をお母さんにお話していました。私は布団に横になりウツラウツラしていましたが、子供達は自転車で遊びに行きたいと言い出し、さすがに嫁さんは止めさせましたが、うちのガキは疲れを知らないのか!でも、たくましくなった事を感じました。雨が降り不安を感じましたが、初めてにしてはとても順調に登山が出来たことを幸せに思います。またチャンスがあれば登りたいと思います。

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■44 糖尿病と戦う

はじめまして。
富士山登ってきました。

今回8名が挑戦し全員登頂下山となりました。
私たちは1型糖尿病で、一般的な生活習慣病の2型糖尿病とは違い血糖値の管理が大変でしたが、事故、怪我なく下山でき、たくさんの1型糖尿病患者に希望や勇気を与えられると思います。
今回の登山にあたり、HPの内容がずいぶん参考となりました。
ありがとうございました。

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■45 
富士登山の実際の体験記を記した雑誌・書籍類が見あたらなかったので、ホームページを探していたところ、当該ホームページに体験記が沢山掲載されていましたので、この体験記を全て印刷してファイル綴じして出発前に何度も読みました。皆様の生のコメントがとても役に立ちました。今後、富士山を始めて登る方の参考になればと思い、私の家族の登山体験をコメントさせていただきました。家族で富士山に初めて挑戦し、無事に日帰り登頂ができて嬉しかったこともあり、貴重な体験を記録にしておこうと思ってメモをしているうちに長くなってしまいました。


【特徴】
2005年8月7日(日) 終日晴れ
須走口から日帰り強行登山
家族(私45、妻41、長女小6,二女小3)
妻以外は富士山は初めて。他の登山の経験もない。


妻が小学校の時に富士山の日帰り登山を行ったことがあり(コースは不明)、子供らにその経験をさせたいということで、妻が積極的に富士山登山を計画する。その過去の経験から「富士山の日帰り登山は絶対に可能だ。」という信念を曲げようとしなかった。そこで、もはや今年の夏休みの日帰り登山は避けられない状況となった。

7月に入って、夏休み中の8月7日(日)に富士山の登山を行うということだけは確定した。7日(日)に雨が降るなどの悪天候になれば、翌日の8日(月)に登ることにした。登山の事前の用意は、本当に直前になるまでたいしたことはしなかったのが実情である。7月も終わり頃になると、さすがに富士山の登山のことが気にかかってきたので、私がインターネットで富士登山の情報を集める。富士山をメインとする雑誌を1冊買ったが、須走口はあまり紹介されていかった。「後悔しない富士登山」のホームページには、須走口の体験記もいくつか紹介されていた。体験記を読むと、その多くが途中で山小屋で宿泊する1泊2日の計画。日帰り登山の場合には、全員が山頂まで行っているわけではないではないか。私は妻に小学生連れで日帰り強行スケジュールは難しいのではないか、と話しをするが、妻は「そんなことない。私は小学校の3,4年生で特に苦労もせずに日帰り登山を行った。」の一点張り。気象条件にも左右されるので、必ず山頂まで行ける保証はない。私も詳しく富士登山の状況が分からないので、当初は、朝6時に新五合目を出発して、行けるところまで行って、午後2時には下山を開始するということぐらいに考えていた。体験記を見ると小学生連れの家族は特に時間がかかっているようなので、出発時間を1時間早め朝6時から朝5時に変更。そして、登山予定日の2日前になって、駐車場が混雑する等の問題があるホームページを見て不安になったので、前日の午後23時30分に家を出て、当日深夜の午前1時30分に新五合目に到着し、車の中で3時間程度の仮眠をとって登山を開始するという計画に変更した。その時は、深夜の1時30分に現地に到着すれば、難なく駐車場に入れると思っていた。


23:30 自宅を出発。
東京IC〜御殿場IC〜国道138号線〜富士あざみライン。富士あざみラインに入ると、暗く狭い道となる。ここをしばらく上っていく。道に電灯がないのでライトを上向きにしないと道がよく見えない。下りの対向車が時々あったので、駐車場が満杯で車が引き返してくるのかなあ、と心配になる。しかし、後ろから追いかけてくる車も見えなかったので、こんな早くから現地に向かう人は他にいないのだろう、と早合点していた。駐車場の前2キロぐらいから、路上駐車している車が列になっていた。「ここに駐車して歩くの?」という不安がよぎる。自衛隊のトラックが前にいて、対向車があるとすれ違いに苦労する。

01:30 須走口5合目に到着。
駐車場は満杯。自衛隊のトラックがそこにも数台いたため、邪魔であった。駐車場前の駐在所の人の指示で、下に戻って路上駐車するよう指示された。駐車場から2〜300メートル下った場所に偶然1台分の駐車スペースがあったので、運良くそこに駐車。これは助かった。2キロも下では駐車場に着くのに30分もかかってしまう。深夜から登山する人も何組かいた。外が気持ち良さそうだったので、新5合目の駐車場のトイレまで4人で散歩に出かける。山小屋はさすがに閉まっていたが、自衛隊員が100名前後いて、ざわざわしていた。02:15頃、車に戻って仮眠することにしたが、既に行きの道中で少し寝た長女と二女が寝付けずに少しさわぐ。寝る時間が短いだけに妻が怒る。2時間程度うとうと眠りにはいった。携帯電話の目覚ましを4時にセットしていたので、4時ぴったりに起床。車の中で、朝食としておにぎり各1個とバナナを各半分。私と妻は、りんご酢の半固形飲料を分けて飲む。荷物を準備して4時45分頃に車を出て、いよいよ登山に向かう。3〜4分歩いて駐車場。 05:00に新5合目の駐車場脇でトイレに入る。菊屋のおばさんからご来光がもうすぐとの話しがあり、良い機会なので東の空にご来光を見る。始めて見る景色に子供は感動していた。昇りかかっている太陽と反対の方向に富士山があり、赤富士が見られた。いよいよこの山頂までのぼるのか、という気持ちになる。

05:10 【新5合目を出発】
とりあえず各自が各自の荷物をリュックサックに入れて背負うことにした。どうせ後で親が背負う羽目になることは他の人の体験記を読んで覚悟していた。売店の人たちに「行ってきます」と声をかけて行進を始める。しばらくは森の中を進む。石や木の階段がある細い森の道。ここをしばらく進む。ペースの速いパーティーにどんどん追い抜かれる。高山病にならないためには、ゆっくり体を気圧に慣らした方が良いという体験記や記事を読んでいたので、準備運動を兼ねて意識的に超スローペースで歩くことにした。二女が先頭でどんどん歩きたがっていたが、あわてないように注意する。まだ傾斜がきつくなく、しばらくはハイキングコースのような道であった。子供は登山という意識が全くない。森の中は日がささないので心地よい。木と木の間から上を見上げると、かなり上の方に鯉のぼりが見えた。季節はずれだが、そこに小屋があると判断し、とりあえず鯉のぼりを目標に進む。体が山登りに慣れていないため、思ったよりしんどく感じる。ペースは10分歩いて1〜2分休み。頻繁に水分補給。みんなで意識的に「スー・ハー・スー・ハー」と深呼吸を行う。

07:10 【六合目(長田山荘)】
新5合目から約2時間で六合目に到着した。約1時間のコースに約2時間もかかった。先が思いやられる。山小屋の前に犬が2匹いた。空いているベンチを探して休憩。数組の登山客がベンチで休息していた。まだ六合目とはいいながら少し疲れを感じた。ベンチで、ウイダー1個ともみじ饅頭1個をみんなで分ける。マーブルチョコを1粒。長女は、しつこくラーメンが食べたいと言っていたが、まだ登り始めたばかりなので、ラーメンは次の山小屋に着いたらということにして、休息を20分程度で切り上げる。二女が途中でへばることを予想して、子供用の短い杖を買う。六合目の焼き印がある。これがうわさの富士山の金剛棒。新五合目で買っておいた方が少し安かったかなと思ったが、これも成り行き。

07:30に出発。登っていく途中、上の方に本六合目の山小屋らしいものが見えた。「遠いな」というのが正直な感想であった。六合目から本六合目まで50分のコースなので、だいたい1時間を予想した。天気が良く日差しがあるところは暑く感じたが、林間コースで木陰が所々にあったのが助かった。木陰を探しては休憩をとる。水分補給と深呼吸。やはり7〜8分毎に1〜2分休みというようなペース。二女は、頻繁に「疲れた。休もう。」と言う。後発組にどんどん先を越される。子供ではないが、確かに空腹を感じる。よし本六合目で何か食べよう、と内心思う。山小屋がちょうど良い目標である。

08:20 【本六合目(瀬戸館)】
六合目から50分で到着。予想していたより良いペースで到着できた。朝食が軽かったので、みんなが空腹を感じ、朝食としてインスタントラーメンを一人1杯ずつ食べることにした。子供は、下の六合目で誰かがカップヌードルを食べていたのを横目で見ていて、本六合目でカップヌードルを食べることを楽しみにがんばって歩いてきたようだ。残念ながらカップヌードルが売り切れとなっていたので、インスタントラーメンを注文した。しかし、ただのインスタントラーメンに胡瓜とネギを加えてあるだけなのに、とてもおいしい。少しつゆの味が濃かったような気がするが、スープもかなり飲んだ。我家4人が音を立ててラーメンを食べていたので、まわりの休憩者にはとてもおいしそうに見えたようだ。若い関西風の女性が、「私、山頂に行ったら絶対にラーメン食べるから。」と話しをしていた。その連れの男性が、小屋のおばさんに酸素ボンベのことを尋ねていたが、おばさんは、「六合目あたりで酸素を吸ったら逆効果だよ。植物がなくなる7合目以上にいったら酸素をとれば十分。」と説明していた。その連れの女性は「もう1本酸素全部吸っちゃった」と苦笑いしていた。我家の場合はというと、すでに酸素入りペットボトル水をごくごく飲んでいた。おやつを少しだけしか背負ってこなかったので、この山小屋でチョコを1ケース買ったが、暑さでどろどろ状態であった。もう少し登れば涼しくなって固まると期待して、チョコを食べるのをしばらく我慢する。トイレを済ます。長女も杖が欲しいというので、大人サイズの杖を買う。本六合目の焼き印がある。ラーメンを4つ注文したこともあって、二女が無料で焼き印を入れてもらった。妻は、長女の杖の寸法を短く裁断してもらわなかったことについて文句を言っていた。

08:50に出発。ラーメン効果で最初はペースが良かったが、次第にスローペースとなる。徐々に木が低くなってきて、木陰が次第に減ってくる。日陰になる良い休憩場所があまりない。座りやすそうな岩を見つけては休憩の繰り返し。5分も歩かないうちに1〜2分休みのような状態になってしまう。小学生を含む家族登山者も何組かいて、これにも先を越されていく。しかし、あくまでもマイペースを維持。子供は「疲れた。休もう」を頻繁に言うようになる。時々下を振り返りながら、歩いてきた成果を確かめる。子供に「下を見てみろよ。こんなに上っているぞ。」と励ます。しかし、子供にとっては初めての高い山。もがきながら7合目に向かうという状況であった。左の方に下山道が見えるが、飛ぶように走り降りていく若者を何人か見た。亀のような登りと対比すると猛烈に早い。

10:00 【七合目(太陽館)】
本6合目から1時間10分。やっと七合目に到着。本六合目からここまで遠く感じた。下りの崖の斜面を背にしたベンチが空いていたので、そこに座った。妻は、二女がロープに誤ってもたれ掛かって転落することを心配していた。ベンチから下を見ると、「結構登ってきたなあ」という感じがする。下に新5合目の駐車場が見える。子供に自信をつけさせる意味で下を見るように言う。しかし、上を見るとまだまだ距離が残っており、そんなことを言ってもあまり効き目がないようにも見えた。これで道程の半分あたりと思うと気が遠くなる。緑の木が次第になくなってきて、岩肌ばかりとなっており、ここまでくると山の雰囲気がなんとなく違う。上を見ると坂の勾配がきつくなり始めるようで、いよいよこれから富士山の登山が始まるという感じがする。本六合目でラーメンを食べたので、ここでは軽く休憩を取っただけにした。6合目あたりでは、しょっぱく感じただけの「ねり梅」がおいしい。

10:05 出発。本7合目の小屋がはるか高い位置に見える。そこが8合目だったいいなと思う。体験記には、「8合目と思ったら、本7合目だったので、がっかりした」というコメントがあった。もしかするとそうかなあ、と疑いながら進む。登りはじめの少しの間は下山道と重なっていて、ザクザクとした砂礫で踏ん張りがきかず、非常に歩きにくい。砂埃が不快である。斜面の勾配がどんどんきつくなり、休憩の頻度が多くなる。本当にちょっと歩いて一休みのペース。小学生のいる家族も数組いたので、子供たちの励みになった。ある家族では、幼稚園ぐらいの女の子を父親が背負って歩き、小学校低学年の女の子が這うようにして登っていた。次の小屋まで非常に長く感じる。子供は「疲れた」を連発。山頂まで行けるかどうか心配になる。既に出発してから6時間あまりかかっている。登山ガイド等の本では、登り約6時間30分と書いてあったので、山頂まで行けるか心配になる。

11:30 【本七合目(見晴館)】
7合目から1時間30分。この間はかなり長く、相当にきびしく感じられた。子供は空腹と披露がピークになっていた感じである。「お腹が空いた」と言っているはじから、生あくびを繰り返す。高山病にならないといいなと思いつつ、自分自身としても相当に疲れた。なんとなくホットココアが飲みたくなって、売店で1杯買い4人で分けたが、非常においしい。生き返った感じがした。ベンチで休憩していた二女は「帰りたい。温泉に入って、布団で寝たい。」と何度も言いながら、妻の膝の上で疲労のため寝てしまう。長女は、背負っていたリュックサックで肩がこったようで、妻に湿布を貼ってもらう。そして「パンを食べたい」としきりに訴えていたが、妻に「次の山小屋で食べよう」と言われて我慢。私は疲れが足にきていて、靴を脱いで休憩しようかとも思った。ここで脱いだら歩けなくなるかもしれないので、やめた。まわりで休憩していた登山者も下山者も疲れていた様子で、地面でごろごろしている人を大勢見かけた。高山病で頭痛がすると話をしていた人もいた。マーブルチョコとねり梅を食べる。

12:00 出発。本7合目から八合目の見晴館まで比較的近くに見えたので、30分を予想する。すぐ到着するように見えたが、やはり砂礫で思うように進まない。子供はうまく歩けず砂礫の上でもがくシーンもあった。「大人が先に歩いて足場を見つけて、その後を子供に歩かせる」という体験記を事前に読んでいたので、それを実践した。妻は長女や二女の手を引いたり、登るコツを子供に教えたりしていた。私は先頭でスローペースを維持しながら、歩幅を狭くして地道に一歩一歩進むよう子供に説明した。

12:30 【八合目(下江戸屋)】
予想通り30分かった。本7合目から既に空腹を感じたので、八合目に行ったら何か買って食べようと思っていたが、パンの売店がよく分からなかった。500MLの水一本を購入しただけ。本八合目も近くに見えたので、休憩だけにした。ベンチが満杯であったので、トイレの直ぐ右上にある岩に座った。長女、二女はかなりへばる。子供は食べる物がないので、「ねり梅」をよく食べた。子供は、お腹がすいていると、何でも口にできるものを食べることができることが分かった。

12:40 出発。ここからも本八合目の小屋が比較的近くに見えたが、「8合目からが本当の富士山の登山」だというコメントを事前に読んでいたので、ある程度の苦痛は覚悟していた。スローペースを維持するというか、スローペースでしか前に進めない。ジグザグ道のカーブの全てで休憩するような感じであった。きつい登りが延々と続く。頂上の様子が下から見えるが、2時までに頂上は、どうみても無理。

13:20 【本八合目(上江戸屋)】
私と長女が先に本八合目に到着。約40分。さすがに空腹がきつくなったので、妻と二女が到着する前に、売店であんぱん(2個500円)を買っておいた。本当はもっとたくさん買いたかったが、2つを4人で半分ずつたべた。実にうまい。崖に面したベンチから、小屋の入り口前のベンチに移動する。二女のリュックサックに、さしあたり使用しないと思われた雨ガッパ、ヘッドライト、タオル等を詰め込み、小屋に預けた(1個500円)。長女と二女はベンチに座った妻少しウトウト寝る。「ねり梅」をしぼりだして食べる。江戸屋の人に頂上までの平均的な所用時間を確認したところ、1時間30分だという。そうすると、山頂は早くても3時になる。計画当初から、どんな条件であっても2時には下山を開始するという計画をしていたので、私は9合目で下山することも覚悟した。しかし、妻は3時に山頂に行けば何とかなると考え、とりあえず行けるとこまで行くことにした。

13:30 山頂を目指して出発。9合目あたりと、山頂あたりの鳥居が2つ見えた。傾斜がきつく、10〜20歩いて、止まって息を整えるというペース。途中から妻の歩調が次第に遅くなり、常に最後尾から歩くようになる。唇が紫に変色していた。睡眠不足と疲労によるものと思っていた(実は高山病の症状だったことが後で分かった)。先に歩いている子供が下にいる妻に「ママ」と声をかける。妻は気丈に笑顔を作って返事をする。頂上までの道がよく見える。何度も下山している人を見ながら、うらやましく思った。

14:15 【(8合5勺)御来光館】
何とか山小屋に到着して、9合目かと思ったら、8合5勺という看板があり、がっかりした。本八合目から45分経過。標準より15分遅いペース。山頂までの予想時間と3人の体調を考えると3時に山頂も難しい。私は、下山する方が無難と思い、妻に下山を進める。子供は、下山したがっていたので、私が下山するような話しをしていた時は、内心「ホッ」としていたのではないか。しかし、妻は「一人でも山頂まで行く。」と異様なまでに強い口調。ただ、「子供の面倒はみられないから、登れる人だけで登る。登りたくない人はここで待っていればいい。」と断言していた。どうやら、ここまできたら何が何でも山頂まで登るという意地とプライドなのか!? 子供らは「ここで取り残されるよりは、いやでもがんばって登るしかない」と考えたのであろう。しかたなしに、しぶしぶ歩き出す。

14:20 3時15分頃の山頂到着を予想して、出発。山頂の到着を15時20分と予想。体験記には「合目から相当にきつくなるので、体力を温存するべき」等のコメントがいくつかあったものの、最初はどのような状況になるのかぴんとこなかった。当初、二女が元気で先頭を登っていた。山頂が近くに見えるので、案外1時間以内で登れるかなあ、と思ったこともあった。しかし、荒い砂利道が歩きづらい。本当に休み休み。しばらく時間が経過した後下の御来光館を振り返っても、あまり距離が離れてない。山頂まで何時間かかるのかが心配になった。妻はもはや後ろから誰も登ってこないような感じで、皆に追い抜かれていった。唇は紫の妻。

14:50 【9合目鳥居】
もう3時近かったので、山頂は4時と予想。そうすると下山にかなり心配があった。しかし、ここまできたら上に行くしかない。岩登りの状況になってきた。子供たちは、一つの岩を登ると休憩するという超スローペースとなっている。妻は、相変わらず紫の唇で牛歩。5歩進んで休みのような感じ。しかし、山頂は目の前に見えており、時間さえ気にしなければ山頂まで到着できそうである。鳥居をすぎるとゴツゴツした岩が大きくなっていて、小さい二女にとっては登り方が難しい。途中妻にも抜かれ、大きい岩の登り方や段の小さい岩を教えてもらいながら、妻の後を登る。二女は、山頂に行けば何か食べられるという思いだけで、我慢して登っていたようだ。長女は妻に甘えられないと知ってか、必死に歩く。「パパ先に行かないで待っていて。」としつこいながらも、私の後を黙々と歩く。途中から、私、長女、二女、妻という順序が固定されてきた。まわりの人と抜きつ抜かれつつ。この時間で山頂を目指す人はかなり減ってきた。

15:40 【山頂到着】
御来光館から1時間25分、本8合目からは2時間10分。私が先頭で狛犬に到着。長女、二女が倒れ込むように山頂に到着。妻も無事に到着。新5合目を出発してから既に10時間30分を経過していた。狛犬の前と鳥居の前で子供の写真をとる。親子で写真をとる余裕はなかった。とにかく食事をとって、直ぐ下山しないと日没になることが不安であった。山頂の山小屋でカレー(1200円)、みそ汁付きの牛丼(1000円)、ラーメン、ココアを注文。水(500円)2本を追加。店じまいのような雰囲気があったが、他の登山客もいた。妻は、高山病で注文した牛丼を食べられないので、私が代わりに食べる。子供はまたしてもラーメン。妻は、高山病で体がつらい様子で、横たわりながら牛丼を食べようとするが、やはり食べられない。みそ汁だけは飲めたようで、「おいしい」との声。牛丼が発砲スチロールのような食感だったとのこと。
16:10 急いで食事を済ませ、下山のために代わる代わるトイレをすませる。お土産を見る時間もない。直ぐに下山準備。16時を過ぎると頂上は寒くて風が強い。子供はホッカイロを背中に貼る。防砂のためのバンダナを首に巻く。上着を着込み、軍手を着用。

16:20 【下山開始】
砂走で快調に下山。二女と私が先に荷物を預けてある本8合目まで先に進むことにした。長女と妻は体調を見ながらのペースで下山。本八合目の山小屋で合流ということにする。20人ぐらいのツアー登山客がのんびり下山していた。「この人たり、日没前に下山できるのかな」と思う。たぶん途中で宿泊するのだと思うが。私と二女が先に本8合目の上江戸屋で荷物を引き取る。妻と長女がしばらくしてもこない。どうやら山小屋の入り口の場所を探すのに迷っていたらしい。本八合目では富士吉田口とに分岐する。8合目まではアッという間に下ってきた。右折して登山道と別れる。7合目あたりから、延々と下り直線の砂走りが始まる。日が暮れてきたので、急いで下る。直線の砂走は非常に長い。うんざりする長さ。しかも、岩が混在した粒の大きい砂礫を下るので、あまりいい状態ではない。普通の運動靴を履いている子供の靴には砂が頻繁かつ大量に入る。時々、靴をひっくり返して砂を払う。ザザーッと大量の砂が靴から落ちる。こんなに入っていたのかと思うと、ついつい笑ってしまう。日没が近くなるため、下山では休憩をとる余裕が全くない。靴の砂を払っている時間が唯一の休憩だ。河口湖の旅館で宿泊する予定であったので、早く電話をかけないとキャンセルされ、あるいは夕食が片づけられるとおそれもあったので、一刻も早く電話しなければ、と焦る。しかし、auの携帯電話のアンテナが立たないばかりか、旅館の電話番号を車のトランクに入れておいたので、電話ができない。とにかく早く下山するしかない。

18:30 日没となる。まだ薄暗い状態なので、ライトなしに何とか道は見える。急げ急げ。雷が遠くで光っているのが見える。

19:00 下山道の5合目の売店を経過。暗くなっていて、売店が閉まっているのが見えた。売店があるから、駐車場はもうすぐかなと思った(実はここからが長かった)。どんどん暗くなる。森に入る前には完全に日没。前が全く見えない状態。あと新五合目まで30分という看板があった。唖然とした。子供は暗闇の森に入ることに非常な恐怖を覚える。二女は泣きそうになるが、我慢して暗闇に突入した。長女は二女を励ます。ヘッドライトは1個しかない。私、長女、二女、妻の順で歩く。進む道を探すために前方を照らすと後ろの3人の足下を照らせないので、足下が全く見えない。そこで、ライトを前後に振って、前方を照らしつつ各自の足下を照らしてやるが、所詮一個のライトのみ。ほとんど手探り状態で歩く。子供は暗闇を怖がるが必死で歩く。子供はとにかく前に進んでこの森を抜けないとどうにもならないことが分かっていたので、疲れていることも忘れて一生懸命に進む。子供は器用に杖で道や段差を探りながら歩く。下山道という道しるべを頼りに下山を続行する。私が「石の階段2つ。道の中央に岩。大きい段あり。」と道の状況を説明すると、長女が同様に「石の階段2つ。道の中央に岩。大きい段あり。」と伝言。そして二女がさらに伝言。声を掛け合って、それで足下の道を確認して進むような状態。時々登山客と対向すると、道に誤りのないことが確認でき安心する。長女が途中で段を踏み外して前につんのめって転倒。下が見えないので、手をついて体を支えることができず、体ごとそのまま前に倒れた。幸い手首あたりをすりむいただけで済んでよかった。泣きたいのを必死にこらえていた。みんなで励まして下山を続ける。ライトを持参してない若い女性2人組が「一緒に下山してもよろしいですか。」と聞いてくる。妻は「ライトが一個しかないので足下を照らせませんけれども、よろしいですか。」と確認する。女性たちは携帯電話の明かりで下山しようとしていたようだが、さすがに携帯電話の画面では照度が足りず、道に迷うのを懸念して、だれか下山者が来るまで待っていたようだ。人が多いとこちらも安心するところがあった。後ろにいる女性たちために道の状態についての伝言を続ける。次第に夜間登山客がかなり上ってくるので、あまり心配はなかったが、子供たちは登山者に会うと非常に嬉しいようで、行き交う人全てに元気よく「こんばんは」と声をかける。登山客からは「もう少しだよ」との声もかかる。あいかわらず道は暗くて岩道だが、人工的な階段が見え始めると、新5合目の山小屋が近いことが分かる。子供たちはそのことが分かると非常に嬉しそうであった。

19:40 【新5合目】
ついに新五合目の山小屋が見えた。後方の女性らから「ありがとうございました」と言われ、「こちらこそ心強かったです」と返事をする。山小屋に到着。まだ営業していた。私のみがトイレに行く。くたびれた。アイスを食べようという話になったが、結局食べなかった。出発してから14時間30分を要した。当初予想した2倍の時間がかかった。

20:45 道に迷いながら河口湖のホテルに到着した。頭がぼーっとして道が上手く探せない。車の中でバナナを食べた妻は完全な放心状態。ホテルに電話すらできない状態であった。4人とも体が疲れ切っていて体温調節ができず、ホテルの部屋の冷房がとてもさむく感じた。睡魔に襲われながら食事をして、すぐお風呂に入った。暖かいお風呂につかると極楽のような感じがした。妻と子供は1時間あまりお風呂を楽しんでいた。部屋で待っていた私は、3人で倒れているのではないか、とも思った。そのあとは爆睡。本当に長い長い一日であったが、今振り返ると、非常に思い出となる富士登山であった。



★ 下山後の感想 ★

私は適当な運動靴がなかったのでトレッキングシューズを登山の2日前に買った。砂走でもほとんど砂が靴に入らなかった。妻と子供は普通の運動靴で登山したのだが、下山で砂がじゃりじゃり入った。子供の靴は特にひどく、数分歩く度に靴をひっくり返すと、砂がザーザーと落ちる状態であった。長女は下山時から足の裏が痛かったようだ。二女はかかとに痛みがあった。妻は両かかとの豆をつぶした。靴はとても重要である。

水は、あまり多く背負うと登りの際に重いし、空のペットボトルがじゃまになる。4人で500MLの水を6本背負って登った。子供は途中で背負えなくなったので、子供の分は大人が背負ったのだが、途中の山小屋で適宜補充すればもっと楽だったと思う。結局、帰りは空ボトルを合わせて9本のボトルを背負って下りてきた。

あんこ入りの紅葉まんじゅう、あんパンがおいしかった。水は途中で補給できるので、食べ物をもっと持参すれば良かった。

日帰り登頂ができたのも、天気に恵まれたおかげだと思う。

唯一残念なことは、おはち巡りができなかったことである。二女は、頂上に着いてしばらくして、「富士山の頂上って穴(おはち)があるものと思っていたけど、何もないね。」と話していた。山頂ではただ山小屋で食事しただけとなってしまった。山頂からの景色も余裕をもって眺める時間がなかった。子供は、疲れすぎてゆっくり見ることもできなかったというのが正直なところであろう。おはち巡りは次回の登山でということになろう。

妻も子供も日頃から運動しているので、月1ゴルフの他に何も運動をしない肥満気味の私が一番の心配であった。しかし、子供に合わせた超スローペースが良かったのか、マイペースで登った私が一番元気であった。強行日程であったが、予定していた日帰り登山が何。とか実現できた。大相撲の貴乃花―武蔵丸戦の表彰式の時の小泉総理ではないが、「感動した」。

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■46 須走口から親子で初挑戦(日帰り)

月11日に親子で(私40歳の普通のサラリーマン、長男13歳中1でバスケ部所属、ボーイスカウト活動も) 初登山ながら日帰りでトライしてきました。いろいろ吟味した結果、初心者向けの一般的な「河口湖口」はマイカー規制があるのでシャトルバスの時間の拘束を嫌って、「須走口」から登ることにしました。例年夏休みには、実家がある北陸へ帰省がてら、途中の長野あたりで家族キャンプを楽しんでたのですが、今年は奥さんと次男がボーイスカウトのキャンプと重なった為2人は帰省できず、私と長男とで帰ることになりました。せっかくの男2人旅、ここはいっちょう大きく日本一をとってやろうと思い、富士山登山計画をぶちまけました。中学生になって少し反抗期に入った長男から拒否されるかもと思いきや、以外や心なしか乗り気の様子!実は私自身、登山経験などまるっきり無い全くの初心者。本当に行くつもりなのか、果たして最後まで登りきれるのか、自問自答、半信半疑のまま、清水の舞台の心境で準備を進めました。準備  新規に用意した装備(私用に、長男のはボーイスカウトでほとんど実践でもっていた)ザック、トレッキングシューズ、ザックカバー、ステッキ、懐中電灯、レインウエア、携帯酸素持って行ったウエア登る時の服装(モモに余裕のあるコッパンとTシャツに長袖シャツを羽織る格好と帽子)フリースジャケット、レインウエア、丸首長袖シャツ、ヤッケ他の備品タオル、軍手、ビニール袋、ガムテープ、日焼け止めクリーム、絆創膏、デジカメ、ビデオカメラ食料(一人分)朝食用と昼食用おにぎり6個、ゼリー飲料3個、500ミリペットボトル3本(お茶2本とスポーツ飲料1本)キットカットチョコ2個、黒飴、ビスケット(ザックに入りきらず断念)体力?ほとんど運動らしきものはやっていない初老の中年オヤジ。野球好きだが見るのが専門、たまのゴルフに息切れする始末。会社へは車で移動、営業の仕事も車のみ、営業以外はデスクワークで座りっぱなし。果たして体力がもつのか甚だ疑問の状態でした。行くと決めたからには、付け焼刃でもいいからウォーキングで体力をつけるべく、2週間ほど毎朝出勤前に3キロ程度のやや早歩きの散歩をがんばりました。意識しての腹式呼吸も心がけて。宿山中湖のほとりの民宿「鶴塚」に予約。素泊まりが安い!日帰りといっても私の場合、その後北陸の実家に帰るので、近くの宿で疲れを癒さないと。「紅冨士の湯」の近くなので温泉も楽しめる。出発   茂原の自宅を出たのが午前0時頃。順調に東関道を抜け首都高に入り、午前1時過ぎに東名高速を走りかけた頃に突然の睡魔が襲いました。いつもは熟睡の時間だけにいよいよ来るべきものが来たかと覚悟しました。すでに長男は後ろでグースカ爆睡中。ホントは五合目に着いてからゆっくり仮眠する予定でしたが無理せず早めの仮眠をとりにパーキングへ。30分間ほどの休憩でスッキリしたので再出発できました。御殿場で下りて程なくしてふじあざみラインに入ります。すると真っ暗な景色ながらおぼろげに富士山らしき山すその輪郭と山小屋の明かりを発見しました。いやがおうにもわくわくと心がはやってきます。クネクネと長い坂を登りきるといつの間にか駐車場に到着していました。先行く車に先導されるように着いたのが須走五合目の第3駐車場でした。午前3時半頃無事到着。仮眠   着いてまず辺りの確認とストレッチでもして運転の疲れをほぐすかと思い、車外に出て周囲を見渡して呆然。目の前にそびえる富士山の暗闇に浮かぶ巨大なシルエットと、満天の星空に圧倒されてしばし体が硬直してしまいました。想像を超えた自然の偉大さと荘厳な様に、ただただ敬服するのみでした。息子にもこの素晴らしい夜景をと思いましたが、体力のことを考え睡眠を優先させました。しばらくこのナイトショーを堪能してから、私も睡眠不足が心配なので、ご来光までの時間少しの仮眠をとりました。気温は肌寒く、この時は15度くらいでしょうか。Tシャツでは長い時間耐えられません。駐車場は第2が満車で第3が数台空いている状態でした。周りには僕と同じ日帰り登山者なのでしょう車で仮眠を取っている方が結構いて、車のガラスが蒸気で曇っていました。ご来光  4時半頃起きて、ご来光の瞬間を収めようとビデオカメラを取り出して準備していると、どうもカメラの動きがおかしい。ボタンに反応しない。画像はモニターに映るのだが録画のボタンを押しても動作しないのです。どうやらビデオカメラが我々よりも先に高山病になったようで、そうこうしているうちに日の出の時間が訪れました。これを不幸中の不幸と呼ぶべきなのでしょう、いつの間にか雲が現れて太陽はぼんやり雲の奥でにじんだ光を放つに止まっていました。機械に寝込まれ、雲に邪魔され幸先悪く、出鼻をくじかれました。残念また残念。開始   結局、ビデオカメラはそれっきりであきらめることに。予想外の出来事に時間をとられたので、急いで朝食用のおにぎりを押し込んで荷物の整理をしていざ出陣。5時半登山開始。まもなくの売店で、息子に金剛杖を900円で購入してあげるとそれまでの眠たげな&不安げな表情から一転、やる気満開百人力といった具合で感触を確かめながらルンルン気分。さすが金剛杖名前負けしてませんでした。古御岳神社で、まだ経験したことがないこれからの過酷な一日を、無事に乗り切れるよう祈願しました。登山  総量約6キロのザックを肩に背っての坂道は、登山未経験者の私には最初からきつかったようで、ものの15分経つかどうかで既に足にきていました。自分のペースでいいとは思いながらも、後ろから来る登山者のプレッシャーに負けまいと思い、ついついオーバーペース気味になっていたのかもしれません。樹林帯を抜けるこの須走口ルートは、緑を楽しみながらの登山が売りとのことですが、私にはとてもそんな余裕はなく、むしろ緑で狭い小道のため思うように休めるポイントが少なく、後続の登山者の足音に合わせたペース配分となり疲れが倍増した気分でした。このままでは危ないと思い、少しでも休めるスペースを見つけたら、無理せず立ち止まって、なるべく後ろから来る人たちの邪魔にならないよう心がけ、「お先にどうぞ」と声をかけ先に行ってもらうようにしました。そうこうしているうちになんとか六合目に到着することができました。時間は7時15分登山  六合目の休憩所で、感動の休憩タイム。あっという間にペットボトル1本とゼリー1個を消費してしまいました。15分位休んで落ち着いてしまったら、なかなか再始動できず、まだ始まったばかりというのにもうこのまま横になって眠りたい気分でした。しかしながら、わが息子はいたって元気で、山小屋の2匹の犬と戯れていました。このままでは、親の沽券にかかわると思い気分を奮い立たせて次のステージへ出発することにしました。気温は思っていた以上に高く、Tシャツに長袖ネルシャツでは暑すぎたので、日焼け覚悟でTシャツ姿になりました。気温は20度半ばくらいでしょうか。休憩が効いたのか、さっきまで疲労感が消えて本六合目まで、苦労した印象はなく難なくクリア。体がこの環境下に順応してきたのでは?時間は8時10分 登山  休憩もそこそこに本六合目を出発していくと、体のごつい外人さんが次々と後ろから迫ってくるのが分かりましした。格好からして明らかに兵隊さんです。嵐のように通り抜けたかと思うと、やっぱり中にはいるんですね遅れてついて行けない兵隊さんも。あえいでる姿を見ていると少し親近感がわきました。樹林帯も抜けて、景色も緑からだいぶごつごつした褐色の岩が中心になり、見通しもきくきくようになりました。でも上を見たところで、頂上がどこにあるのか分からず、まだまだ遠い道のりであることを自覚させられるだけで、下を見ても雲しか見えず、今はただ1歩1歩確実に目の前の道を歩むことに集中することにしました。目線を足元に集中し歩くことだけ考えていたら、あれれ以外や以外もう七合目でした。時間は9時20分なんとなく乗ってきた感じです。登山  ここで息子がおなかがへったとのことで、乗ってきたけどお昼用のおにぎりを半分食べ早めのランチタイム。おなかが膨らめば眠くなるのが人の定め、しばらくは固まっていました。少し長めの休憩をとりリフレッシュ!このあたりから、歩くサイクルが似ている登山者と休憩所が一緒になります。落ちこぼれ気味の兵隊さんや、グループで来ている男女の若者、大学サークルか学生服を着たリーダーらしき人を先頭とした、東京駅から富士山まで歩くという趣旨の会の集まりなど等。そしてその中でも特に印象的なのが、父親と明らかに幼稚園年少?ほどの幼い娘を連れた親子連れ!いくらなんでもそりゃ酷だろうと思ったけど、それが結構頑張り屋さんで、結局我々と頂上まで抜きつ抜かれつのデットヒートを繰り替えすことになりました。こんな小さな子には負けられんと、息子にハッパをかけ、長めの休憩から飛び出して行きました。七合目あたりからか足場が砂礫ですべるようになり、足が前に進まない状態になってきました。息子に少し先に行かれるようになり、おやっ?と気づきました。本七合目の到着時間は11時ちょうど。登山  ここから先、親子の断絶が始まりました。やはりオヤジの限界があったようで、先に行こうにも砂礫でずるずすべりっぱなしで気持ちははやるが足がついていきませんでした。そんな私を見越してか、息子は先行くねと宣言しあっという間に、はるかかなたに行ってしまいました。計画当初の目論見では、なかなか足が進まない息子の尻をたたいて叱咤激励し、私が父親としての威厳を爛々と輝かせるはずだったのに。結果はまったくの逆で、上で息子が遅れてくる父親をのんびり眺めて待っていることになろうとは、全くの想定外でした。あ〜情けない。一人になって改めて、苦戦している砂礫での歩き方や呼吸方法を自分なりにアレンジしてみました。踏み出した足は高く上げずに表面をすべるようになぞり、つま先だけ砂礫を蹴散らすように踏み込ませるのです。実際砂礫が前に飛んじゃいますが、靴底が砂礫にのめり込んだ分グリップしてくれて、後ろにすべるのを防いでくれました。呼吸方法は足の動きに合わせて吸う吐くを同調させるのです。またステッキの動きもこの動作に同調させて、全体の動きをテンポ合わせてリズムよく行いました。普段の生活でこれをやれば確実に過呼吸で頭がクラクラすると思いますが。酸素を効率よく取り込めたと思います。私にはこの一連の動きがなんとも体に合ったようで、息子には置いて行かれましたが数人の落ちこぼれ外人兵隊さんを撃破しました。勝手気ままなひとり旅、ようやく息子に会えた本八合目到着は12時20分登山  昼食に残りのおにぎりとゼリーとスポーツ飲料を消費したら、残りの食料がキットカットとお茶1本を残すのみとなりました。かなりザックが軽くなっが、その分これから傾斜がきつくなってきているのが明らかに見て分かりました。ここから先河口湖口の登山道と合流するらしく、下山道のコースと相まって人が多く交差しややこしくなりました。 まあ上に登って行けば間違いないのだからとあまり気にせず、ここからの難コース攻略をイメージしました。でも酸素不足の頭では何も浮かびませんでした、ただ先にある道を進むことしかないようです。息子の方はというと、オーバーペースになっていないか少し心配してましたが、杞憂のようでした。車中泊のため眠りが浅かったらしく休憩ごとに眠いを連発していましたが、食欲も旺盛で、ピンピン元気でした。精根尽き果てている私と比べ、はつらつとしている息子の姿を見ていると、正直彼の体力や若さ、しいては彼の存在そのものがうらやましくもなりました。変な男の嫉妬なのでしょうか?でも2人とも心配していた頭痛・吐き気といった症状はなく、幸いにも高山病とは無縁だったようなので、それでよしとすべきでしょう。相変わらず、親を置き去りにする息子を追いかけて、最後の力をふりしぼって八合五勺から九合目。もう時計を見る気力もなくなり、デジカメもここの記録がありません。登山  九合目を過ぎると、最後の砦と言わんばかりにかなりの段差のある急な岩場の連続になりました。足場があって無いような状態で、うっかりして岩を踏み外すと転がり落ちる危険さえありました。もうこれ以上は勘弁してと体が岩場を見て拒絶反応。足が言うことを聞きません。岩場の腰を下ろせる所に、どっかりと座り込んで、しばらく人の流れる様子を呆然と眺めていました。たぶんその時、私は誰?ここはどこ?状態ではなかったかと思います。乳酸が脳みそに流れ込み思考が停止してしまいました。たぶん口は半開きだったと思います。そんな時、あの幼い娘を連れた親子が下から頑張っている姿が見えました。必死に自分の背ほどの高さもある岩にくらいついている、そのいたいけな姿に私ははっと我に返り、そして痛く感動し、自分の立場も忘れて大声で(気持ちだけですが)声援を送っていました。その子のおかげで正気に戻った私は、奮い立たされ最後の難関の砦を息も絶え絶え、なんとか征服することができました。登頂   狛犬と鳥居の歓迎を受けた後、階段を登りきったらもうそこが頂上でした。制覇時間は午後2時30分「富士山頂上浅間大社奥宮」の石碑があります。何度もそこにある頂上という文字を見なおしてそこが本当に頂上であることを確認しました。でも実はもっと奥に本頂上なんてのがあるんじゃないかと、疑心暗鬼にあたりを見回しました。でもまわりの登山客の歓喜の様子から本当に本当に頂上だということを実感しました。やったー!バンザーイ!バンザーイ!もう感涙ものです。男泣きです。ウソですが、バンザーイの声は無意識に口から漏れていました。たぶん残りの人生で発する予定だった、感激の言葉の3分の1が口から出たのではないでしょうか。この感激の瞬間を親子で共有したかったのですが、見つけた息子は既にさっさと極めてしまっていて、感激の温度差が開いていました。仕方なく片手のハイタッチで、遅ればせながら登頂達成を祝いました。そのまましばらくは無言で、お互いの肩と肩で健闘をたたえあいました。父と息子の親子の絆が一層深まったような瞬間でした。と思ったのは私だけかも?記念写真や金剛杖の刻印儀式も終え、さてお土産でも見て回るかと久須志神社を出たところ、私に勇気と根性をくれたあの小さな女の子が、無事登頂できた様子で、石碑の台座に座らされて記念写真を撮っているところでした。寒かったのでしょう、私が見ていたときのピンクのフリースの上から、更に赤いセーターを着飾った姿は、まるでお人形さんのようにかわいく幼く映りました。とてもあの激闘を経験したとは思えませんでした。彼女とも無言で健闘をたたえあいました。と思ったのはやっぱり私だけ?河口   お土産を買って、自宅宛てに登頂記念のデラックス木製はがきを書いて、お店の人に投函を託しました。ぱっくり口を開けた地獄の釜のような広大な河口の底を、及び腰に何度もまじまじと観察しました。河口淵のドス黒い層とその周辺の毒々しい赤茶けた部分とが異様なコントラストに映り、富士山がひとたび暴走すれば、天地を揺るがし人智を脅かす、恐ろしい火山であることを再認識させられました。でもそれよりも、これだけたくさんの登山客でにぎわうのだから、ここに誤って落ちた人ってたぶんいるよな、いや絶対いるとか。もし自分たちがそうなった時のことを想像したらそちらのほうが恐怖でした。急所がムズムズします。そんな他愛もないことを息子とやりあっていると、登りで火照った体も冷めて、もうかなり肌寒くなっていました。八合目あたりから、Tシャツから長袖シャツへ、そしてこの時点でヤッケを着ることにしました。結果的にフリースジャケットは不要でした。雨に祟られず晴れてくれてたおかげでしょう。お鉢巡りは、時間的に厳しいのであきらめました。一通り頂上の空気を満喫したので、息子に思い残しがないかを確認して下りることにしました。下山開始時間3時40分下山  下山はいたって楽でした、ただ気分的にだけでしたが。実際体力的にはかなり足に負担がかかり、きつかったかもしれません。いやおう無に下ろした片方の足で、体重を支えないと転んでしまうので、ふんばりが必要です。気分的に楽なのは、初めて富士山頂上を極めるという、重い十字架のようなプレッシャーから開放されたからでしょう。しばらくは踏ん張りの利かない足をもてあまし気味にフラフラ下っていました。このときほどスキーが恋しかったことはありませんでした。直滑降で200キロくらいのスピードが楽しめたかも?下山  七合目からの砂走りで、さきほど和解したはずの親子の絆がまたまた断絶しました。足にまだ自信のある息子は、本当に走って行きました。しかも飛び跳ねるように。あっという間に姿が小さくなりその他大勢と区別がつかなくなりました。悲しいまたおいてきぼりです。息子の後を追って、私も観念して走りましたが、足を取られて危うく前転屈伸の前ひねりE難度の技を披露する寸前の転倒をおこしました。岩がなくて助かりました。気を取り直し、それからは慎重に、なるべく体重は後ろに残して、足を滑らすように進んで行くと、コツをつかんだ感じでうまく走れました。下山  砂払い五合目の売店でやっと水分を補給できました。持参した水分は砂走り開始時点ですべて消費していたため、のどを潤せず砂走り激走中は、砂塵で気管が封をされたような嫌な感覚でした。今回スパッツは持参しなかったのですが、シューズの紐を上まで強く結び、足との隙間を極力無くしたらかなり砂礫は防げて平気でした。薄暗くなりかけた頃、最後の樹林帯を通過できました。やはり暗くなってからでは、帰り道の疲れた足にこのデコボコ道は危なかったかもしれません。目の利くうちに帰れて安心しました。やがて、最初に登山の安全祈願した古御岳神社に着き、無事下山できたことを感謝・御礼して登山道を後にしました。下山時間6時15分民宿   売店から第3駐車場までの道のりが最大の難所だったかも?まさかまだ登りが残っているとは!不意打ちを食らったようで、息子と苦笑いでした。よく砂を払ってズボンと上着と靴を替えて、そそくさと車に乗り込むと、帰り仕度があっけなく完了しました。つい今しがたまであの頂上にいたことが、絵空事のように思える富士山を車の窓ごしに眺め、またいつの日か再会することを約束し、今しばらくの別れを告げました。夜中走ってきたふじあざみラインを下る時に、頂上から下界を目隠ししていた憎き雲海の中を走りぬけ、我々の憩いの宿「鶴塚」に着いた頃にはどっぷりと夕闇に浸かっていました。    ひょんなことから、富士山登山を思いつき、冗談交じりで家族に話したら、なんだかことの成り行きであれよあれよと準備が進み、引くに引けない状態に。まさか本当に登ることになろうとは、ひょうたんから駒のような展開でした。40年の人生でこれほど過酷な体験はなかったように思います。しかしながら、それを克服したときの喜びは、その過酷さを差し引いても有り余るほどの大きさです。人生にはまだまだ体験すべき素晴らしいことがあることを悟りました。また、平日、休日とも仕事ですれ違いの息子と、これだけの体験を共有できただけでも有意義であったことは間違いないでしょう。今思えば、日本人で生まれた以上、私たちが富士山に登ることは、必然の理ではなかったかと思えます。日本を象徴する富士山には、常にわれわれを惹きつける不思議な魅力があるのでしょう。誘うような招くような。そこに行けば、忘れかけていた日本人の心を揺さぶる魂のふるさとのような何かを、掘り起こしてくれるのではないでしょうか。私は忍耐と努力と勇気をあらためてこの富士山から教わり、親子の愛情と絆を深め合うことができたと思います。

47 家族4人で須走口から富士登山

昨年、長男(慎太郎)と須走口から富士山に登ったのをきっかけに、今年は妻(真佐子)、長女(菜津子)を無理矢理連れて富士山に登ってきました。■レポート●2005年8月28日(日)7:45 須走口登山口駐車場着前日が土曜日ということと、スバルラインが8月31日までマイカー規制をうけているせいか、須走口駐車場までの下り車線に車がギッシリ駐車されているのを見て、不安がよぎりましたが、ちょうど下山の第一陣が帰るのと重なったためか、なんとか駐車することができました。

昨年は、気がはやっていたこともあり、五合目で30分くらい休息してから登山開始したこともあってか、7合目の大陽館で頭が少し痛くなった経験を活かして、今回は前日に山中湖(標高1000m)で前泊し、さらに登山開始は、9:30ということでたっぷり1時間45分取ることにしました。9:30 五合目(標高2000m)から登山開始!

歩き始めは、2人の子供たちも下山してくる人たちに、「こんにちわ!」と声をかけて足取りも軽く、なかなかいいペースです。この日は五合目付近は雲(霧)がたちこめていて、なかなか上まで見渡すことができませんでした。

●11:05 六合目(長田山荘 標高2450m)着最初の山小屋の長田山荘に予定より早いペースで到着。長女は初めての焼き印に興味があったらしく、食い入るようにおやじさんの作業を見守っていました。ここの犬(ビーグル犬)は、一人で(一犬で)頂上まで登ってしまうとの話を聞きました。恐るべし!

次は瀬戸館を目指します。私(父:直嗣)は長男と昨年も同じルートで登ったので、距離と時間も何となく覚えていたので、私自身は「昨年よりは楽(精神的に)かも・・・」とかなり余裕でした。しかし、今年は4人分の装備を背負うことにしたので、20数kgとかなりこの歳には堪えました。装備:水=9L、バナナ、パンなどの食料と防寒具、着替え他11:30 六合目 長田山荘 出発

長田山荘から瀬戸館までは、時間にして50分で着きました。●12:20 六合目(瀬戸館 標高2700m)着ここでもガスっていて結構寒かったですが、焼き印を押してもらい小休憩を取りました。ここで休憩していると、なんと74歳になるおばあちゃんが8合目まで登って下りてきたところだという話を聞いて、全員でビックリ!10年前まではかなり山登りをされていたそうですが、膝を悪くされて登れなかったのが、電気治療によって今では膝は何でもないそうです。鳥海山や大雪山も登ったそうで、まさしくスーパーおばあちゃんです。ちなみにうちのおじいちゃん(私の父)は71歳でスーパーおばあちゃんより若いですが、富士山の写真ばかり撮っていて、登る気配は一向にありません。うちのおばあちゃんも膝が悪く、先日手術して今はリハビリ中です。来年は、みんなで登れるでしょうか?子供たちからけしかけてみます。12:45 六合目 瀬戸館出発

今日の宿泊は、大陽館と決めていましたので、目的地はこの次です。楽勝かな?瀬戸館から大陽館まで1時間ちょっとで到着●13:50 七合目 (大陽館 標高2960m)着瀬戸館から歩き少したったところでガスもなくなり、今日の目的地である大陽館が見えてきました。さすがに子供たちも歩くのに疲れてきたのか、なかなか前に進みません。なんとかだましだまし励ましたり、千葉のじったん家(妻の実家)で栽培しているミニトマトを食べたり、バナナを食べたり(この2つがかなり重い)してなんとか大陽館に無事到着しました。昨年は1番最初に到着しましたが今年は3番目くらいでした。宿泊料金も上がって(消費税その他プラス)いましたが、トイレがきれいになったのと、昨年宿泊したため大陽館から送られてきた年賀状を持参したため10%引きにしてもらいました。妻と長女は初めての山小屋ということもあり、消灯まで大騒ぎでした。子供たちは3階のベッドがかなり気に入ってました。昨年はあまりにも早く到着したこともあり、昼寝をしました。その昼寝が仇になって呼吸が浅くなったこともあり、私は頭が少し痛くなったようでした。今回はそのことを教訓に4人とも昼寝をすることもなく、外に出てお湯を沸かしてスープを飲んだり、景色を見たりして過ごしました。※翌日山小屋の方にお聞きしましたが、国立公園内でのバーナー等での火気類の使用は禁止されているそうです。

夕食は、大陽館定番のハンバーグと豚汁です。16:30からでしたがおなかの空き具合も丁度よく、4人ともおかわりをしてたらふく食べました。その日は雲があったこともあり星を観察することができませんでしたので、翌朝の天気に期待して、4人ともそこそこ疲れていたせいもあり21時の消灯前には爆睡することにしました。私は子供たちの寝相が悪く、熟睡することができませんでしたが、妻はちゃっかり3階の空いているスペースで爆睡してました。私はあまり寝ることができず、1時くらいから起きたり寝たりを繰り返し、3時過ぎくらいに外に星を見に行って、満天の夜空を見つけて感動したのち、すかさず子供たちを起こして、星を見に行きました。私自身も天の川を初めて見ることができたり、子供たちも流れ星を初めて見ることができてかなり感動してました。ただ、気温が9度と寒かったこともあり、実際外にいたのは数分のことだったと思います。朝食を4:00に済ませて、5時10分ころ日が昇り始めました。このときも外はものすごく寒く、子供たちは御来光に対してあまり興味がないのか、「早く山小屋に入ろうよ」と言われましたが、なんとか記念の写真も撮ることができました。そんな事もありましたが、2日目の今日は頂上を目指します。6時過ぎに大陽館を出発しました。要らない物は昨年同様大陽館に置かせてもらい、頂上目指してがんばろう!※大陽館で飼われている犬の太郎はもう18歳を超えたそうで、昨年見たときよりかなり弱っていました。

●6:55 本七合目 (見晴館 標高3250m)着見晴館は大陽館からも見え、予定通り無事到着しました。ここでも記念の焼き印を押してもらい、いよいよ頂上へのアタックです。ここでアクシデントが発生!なんとなくイヤな予感がしておりましたが、長女がもう登れない(歩きたくない)ということで、この先は長男と初めて富士山に登った妻が頂上を目指すことにし、私と長女は、大陽館で帰りを待つことにしました。※見晴館から頂上はあそこだよ!と言ったのが逆効果だった気がします。歩いている人が米粒よりも小さく、まだあんなに歩かなきゃいけない。ということで気が滅入ってしまったようです。

私と長女が大陽館に戻ってきたのが、8:00頃でした。もし頂上まで登っていれば帰りは11:00以降かとおもい、それまでの間長女とカップ麺を食べたり遊んだりして過ごしました。大陽館を出るときに、今朝の3:30に五合目を出発したおにいちゃんと一緒でしたが、そのお兄ちゃんが頂上に登って頂上で1時間30分ほど休憩して、大陽館に戻ってきたのが、11:00でした。ということは、妻と長男が戻るのは12時過ぎになると思い、さらにひたすら待つことにしました。長女も「こんなに待つなら登っていればよかった」なんて言う始末です。そうこうしているとガスが立ちこめたかなから「菜津子〜!」という声がしました。長女も「おにいちゃ〜ん」と返事をして、ようやくみんなと再会できました。12:30分でした。

大陽館の人たちに別れを告げて、みんなで五合目を目指します。昨年は、八合目のあたりでブルドーザーのお兄ちゃんと仲良くなり、大陽館の上まで乗せてもらい、そのとき聞いた話と、インターネットで見た、ブルドーザー道を下山していくと駐車場の上に出ることができる。ということでひたすらブルドーザー道を下りていきました。今年は、須走を下りて砂洗いまで下りた後、その先のブルドーザー道を右に入り(関係者以外立ち入り禁止の看板とロープ)昨年同様駐車場の上に出ることができました。こちらの方が楽に下りられるように感じました。山小屋の人の話では、ブルドーザー道は、下山禁止で距離も長いから歩かないほうがいいよ!と言われていましたが、さすがに五合目までの段差のある山道(往きに歩いた道)と五合目から駐車場までの急斜面を歩くことを考え、ブルドーザー道を歩いてしまいました。

私と長女は頂上に行っていなかったこともあり、快適に下山することができましたが、さすがに妻と長男は、下りには堪えたみたいでした。昨年私も下りがきつく、最後は後ろ向きですり足で下りるのが精一杯でした。大陽館からは約1時間で駐車場までおりてこれて無事私たち家族の富士登山が終了しました。夏休み最後のいい思い出が作れたと勝手に思っております。来年は、長女も含めて全員でまだ見ぬ最高峰の剣が峰を目指したいと思います。

「後悔しない富士登山」これからもがんばってください。非常に参考になりました。ありがとうございました。

■ 48 リベンジ 感動しました

2005年 No.5 「初めての富士登山 7合目で悪天候のため下山」を投稿したものです。
何とかスケジュールを調整出来まして、8/27・28日で前回と同じプランで再挑戦してきました

今回は友人3人(女性2人と私♂)でしたが、友人1人が7合目大陽館にて高山病で頭痛&膝の痛みを訴え、無念の下山。私と友人2人で山頂を目指しました。

超スローペースで5:30に7合目出発で山頂到着は10:3
0と5時間かかりました。
友人を山頂に残し、私1人でお鉢廻りで念願の剣が峰に到着して、前回なし得なかった達成感を満身創痍の身体全体で感じる事が出来ました。

前回と違い好天に恵まれ、7合目山小屋で初めて見た「天の川」こんなに近くに星がある!手を伸ばせば届きそうな星空にも感動いたしました。

来年のシーズンまで延期したら、今年の悔しさを忘れそうでしたので、今回無事に登頂出来たことを嬉しく思います。

色々と教えて頂けた貴サイトに心より感謝いたします。

大陽館さんも1シーズン2回目の宿泊と言うことで宿泊代も半額になりました(^^)

タイムスケジュール
11:00「須走口新五合目」出発
13:00「新6合目」到着
14:00「本6合目」到着
15:20「7合目」到着「大陽館」で宿泊
05:10「御来光」
05:30「大陽館」出発
06:25「本7合目」到着
07:15「8合目」到着
07:50「本8合目」到着
08:40「8合5勺」到着
09:40「9合目鳥居」到着
10:30「富士山頂」到着
11:00「お鉢廻り」出発
11:50「剣が峰」到着
12:40「山頂へ戻る」
13:20「下山」開始
14:35「7合目大陽館」到着
15:00「大陽館」出発
15:50「砂払い5合目」到着
16:20「須走口5合目」到着

■ 49 お薦めのアイデア〔オリジナル金剛杖)

一度は登って見たかった富士山、息子たちに助けられ何とか12時間かけて頂上へたどり着きました。その時の感動は多分忘れる事は無いと思います。しかも8月16.17日の雨模様の中。頂上は雲で何も見えませんでした。

その時の悔しさがバネになって、今度は女房と二人で登りました。天気に恵まれそれはそれは物凄い富士山でした。2度目でこんな体験が出来て感謝しています。

その時気が付いた事は,1度目の登山で結構いろんな光景に出会ったり、写真も何枚か撮ったのですが、時間とか場所とかその時の周りの様子をすぐ忘れて仕舞う気がして、2度目の時はマジックをポケットに入れて登りました。

元大工ですので杖は自家製です。売っているのに比べると少し太めですが,真似して六角形に作りました。その六角の面へ何時何分、何処其処で何をした,何を見た・・・.。と            杖が真っ黒になるほど書いて帰りました。

その杖を見ながら反省会にも随分役立っています。

須走り口の売店の兄ちゃんが、その杖を見て「アッ それ貰い」。・・・・

ただ登って、辛かった、良かった、綺麗だった、記念になったでは詰まらないし,焼印も良いのですが、この方がずっと思い出に残ると思います。これ皆さんにおすすめです。

自分は57歳ですが、来年は是非登ってみたいと言う82歳の親父と一緒に登って、この感動を味合わせてやりたいと思っています。有難うございました。

■50 辛かった富士登山

 今回は8月最後の日曜日の28日に友人2人と共に須走口からアタックしました。3人とも富士登山は初めてで、ルートは最後まで吉田口とどちらにしようか迷いましたが、登りやすさとマイカー規制がないことから須走口を選びました。また、我々はそれぞれ仕事をもっているので、深夜出発、途中ご来光、夕方下山というスケジュールで臨みました。

 最初に心配していた駐車場の問題。我々は現地に12時半頃着きましたが、恐れていたように富士あざみラインの下り車線は長蛇の列でした。結局、停めることが出来た場所から5合目までは、徒歩で30分かかる場所でした。

 2時間ほど仮眠(といっても時折通る車や人の音と居心地の悪い車内環境によりほとんど眠ることが出来ませんでした)した後、5合目へ、そこからいよいよ登山開始。既にこの地点でも満天の星空、感動しました。須走口は最初が森林帯でしかも足元が悪いので、明るめの懐中電灯が必携です。頭につけるライトが便利かもしれませんが、僕は手で持つタイプのものでしたが片手に杖を持っていても問題なしでした。

 途中、6合目〜7合目の途中の開けたところからご来光(5時25分)。見えそうになると次から次へと下の方から雲が湧いてきて、拝めるまでちょっと時間がかかりました。そして再び登山開始。しかし7合目あたりから早くもペースダウン。脚の疲労は相当なもので、股関節あたりの筋肉が疲労により痛くなってきました。見かねた友人が足の運びはスキーで斜面を登るような感じ(逆八の字)が良いとアドバイス、そのおかげか、はたまた感覚が麻痺してきたのか、8合目を過ぎたあたりからはそれまでよりむしろ足の方はつらくありませんでした。

 8.5合目から頂上までは山小屋のようなところがなく、かなり長い道のり。このことから恐れていた頭痛が徐々に出始める。そしてとうとう山頂に到着。鳥居の前の石碑のところで友人と記念撮影。時間は12時半前だったので、車から登山口までの余計な30分を入れてふもとから約8時間半ということになる。

 頂上では頭痛に加え、気分も悪くなり、食欲も出なかったので、お土産も買わず20分ほどいてから友人をおいて一足早く下山開始。友人はキーホルダーに日付や名前を刻印してもらったお土産を買ったり、数十メートル先の小高い丘に登り、お鉢の中を見たりして、頂上付近を楽しんだ模様。

 帰りは気分が悪くて昼食も取れなかったので、完全にエネルギーが底をついた感じ。脚に力が入らない。おまけにすぐにでも吐きそう。これにブルドーザーの排気ガスや、山小屋の糞尿の臭いが追い討ちをかける。マジつらかったっす。。。

 さすがに7、6合目あたりまで降りてくると頭痛と気分が悪いのはやや改善。砂走りも跳ねるように下りられるようになってきた。ただ、これがなが〜い。これでもか、これでもかというくらいに続く。そうこしてると下の方からなにやら怪しげな音楽が。やっと5合目まで下りて来たか、と思って近づいていくと、そこは休憩所。そこで案内板を見ると、登山口までここから30分、と書いてある。「まだ30分もあるのかよ〜」と一同怒!でも実際にはそこから40〜50かかりました。下り前半の私の超スローペースもあって、着いたのは夕方5時近くでした。

全体を通してみると7〜8合目あたりが一番きつかった。それから登り方(足の運び方)によって疲労度は相当違う。体力に自信がない人は山小屋を使ったほうが良いでしょう。登るだけではなく、下りもあることをお忘れなく。下りは相当に脚全体への負担がかかるので登りで限界に達していると下りでの怪我の元となります。それから途中、高山病で苦しくなったらあきらめる勇気も大切でしょう。それから下りは脚への負担が大きいし、砂走りでは足首くらいまで砂に埋もれるくらいなのでやはり靴は登山用の自分に合った良いものを用意すべきでしょう。そのおかげか私はマメ一つ出来ませんでした(友人はちゃんとした良い靴でもマメが出来たそうです)。それから我々は6合目あたりでご来光を見ましたが、やっぱり頂上からのご来光は登山途中で見るご来光とは一味違っただろうなあと思いました。次回は是非頂上で見たいと思います。

 それから、この「後悔しない富士登山」の情報は相当役に立ちました。
 特に、体験記やチェックリストなどは初挑戦の私には相当役に立ちました。初めて富士山の上る人達には、まさに必見です!

 以上、取りとめもなく書きましたが、これから上る方のお役に少しでもたてれば幸いです。